百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰農人 2024 3/25 薪わり、糀も あとすこしだ

帰農人 2024 3/25 
  薪わり、糀も あとすこしだ

 土曜日の冬の最後は体に堪えた。小雨降る中の運河の朝市は客が少なく、今までで最低の売り上げ。5℃の北風に体が凍え、気流法で体を動かしていたが、たまらず昼前に退散、この冬一番寒さがこたえた。翌朝は霜が降りたが、昼過ぎに妙に暖かい南風がそよぎ、一気に春になった。なんとも劇的な冬の終わりの日曜日、朝から気になることは、尊富士の動向だ。怪我の状態は、相撲はとれるのか、ちょこちょこネットで確かめる。6時からは山ちゃんのお通夜があるので夕方の片付け仕事をバタバタしながら、時々ラジオを聴いていたが、大一番は聞き逃した。でも勝ったらしい、快挙だ。二人の若武者が現れた、若貴以後ずっーと面白くなかった相撲に光明がさした、ゆっくり治せ。

 ガリレオが再放送されているので楽しんでいるのだが、数樹子十個のメトロノーム一緒の動かしていると、共鳴現象で全部がカチカチと全く同じように動くようになる実験をしていた。これにはびっくり。日々良き波動に囲まれて生きていきたいと心がけている。化学物質からはなるべく離れ、自然と共に、よき微生物たちと暮らし、波打つ心をなるべく穏やかにと心がける、全て良き波動が要だと信じている。そしてそれらは共鳴し一体となれる。それが安らぎであり、ひとつの悟りでもある、田畑と共鳴し、味噌樽と共鳴し、ドブロクと薪ストーブなどと共鳴する。いいではないか、良き波動が世界にあふれ、地獄を吹き飛ばせ。

帰農人    2024 3/17 桃井かおりのレコードも、ブスとか歌ってる

帰農人    2024 3/17 
 桃井かおりのレコードも、ブスとか歌ってる

 軽トラの車検を受けに行った。ライトが引っ掛かった。その次のリフティングして下回りを調べるのだが、「また同じ所ですね、車種もこの前と同じですね」と11月に行った別の軽トラを覚えている。前回の時、「おお、有名人と会えてうれしいです、僕時々畑の方を散歩するんです、ヤギは元気ですか」と、今回もそのおじさん、なんかほっとする。ポンコツの車検はいつもひやひや。

 明日は春一番目の定植、まずはキャベツとレタス、1週間ほどして霜の危険を超えたら、トマトにインゲン、その間にジャガイモを植えなくては。その間にゴミ片付け、これが一番つらい仕事、30年のゴミは中々手ごわい、でも何とか分別して使えるものを拾い集めねば、一つの葬式だね。経済的にも合わないけど、どの資材にもちゃんとお別れしなくちゃね。 葬式と言えば、幼なじみの山ちゃんが亡くなった。小学生の頃はよく遊んだし、中学の野球部ではキャプテンで、まじめで長距離走が一番早く、農協に入りエリートだった。月曜日ごろ自宅で倒れ自分で救急車を呼んだ、腹部の大動脈破裂で、一時意識を取り戻したが金曜日の朝亡くなった。なぜか関係性が深い同級生ばかりが先に死んでいく。そのたびに色々電話をかけまくる、懐かしい声は思い出を多く呼び戻す。喜び、悲しみ、恥ずかしさ、嫉妬、それぞれがいとおしく、酒が進む、もっと生きていてほしかった。

 久々に風呂に入った、元日の朝以来だ。左足の小指の付け根の魚の目が大きくなり、歩いている時痛くてカッターで削るためだ。もう何度削っただろう、おふくろもよくやっていたっけ、今日は気持ちよく歩ける、髪の毛も軽くすがすがしい、久々に入る風呂は、外国人がこわごわ入るのと同じ感覚。こんなに極楽だったのかと感動する、そしてよく動いてくれる自分の体にまた感動したりする。それだけでいいのに、殺しあうことはないのに。

帰農人    2024 3/12 雛人形を仕舞う時、またミユキのレコードが2枚

帰農人    2024 3/12

  雛人形を仕舞う時、またミユキのレコードが2枚

 水道工事は自分でほとんどできる。新たに井戸を掘ってもらったら、ポンプ等の移築もできるし自分で本当はやりたかった、でも井戸屋を仲介した水道屋のおやじさんが何度も足を運んでくれたから、少しは仕事を頼まないといけないなと思い、少しの出費は覚悟していた。 移築前の様子を見に来た親父さんは25年前に設置したポンプを確かめながら「こいつは移動したら動かなくなるかも、責任持てないよ」と言い出した。その他の作業のことも色々話していたら、「あんたやんなさいよ」ときた、周りの水道工事をみんな俺がやってしまうので儲けの薄い仕事に嫌気がさしたのだろう。 こちそれ聞いて、らはホイキタ、夢!ひとつかなう。 
 早速3人で取り掛かる。 40m下に塩ビパイプにつながれたポンプが紐でぶら下がっている。俺が紐を引き、飛び出てくるパイプを木野ちゃんが支える、5。ほどでアキがノコで切る、水ば吹き出す、水の分重いのだ、最。に筒状のポンプが出てくる、ピカピカ新品同様だ、頼みしも。 また新しい井戸に刺し落としながら、切ったパイプをジョイントを接着しつなげて落としていく、最。に絶対ほどけないように紐を結び付ける、最。結んであるヒモをほどく時、結び方に職人さんの良き仕事を見た、職。さんたちの仕事はみなの宝だ。水場ももらってきた下のパイプ等が破損してる2艘式のシンクを設置し、ホースを直し、土を取る排水溝につなげ、もう100m先から設置して埋めてある排水パイプに無理やりタオルやテープなどで無理やりつなぎ、給水パイプもつなぐ、半。でできた。 後はかた片付け。の大仕事だ、夏秋物の苗たち生育の仕事も多くなってきた、ハチマキを絞めなおそう。

 ともかむごくい映像を毎日、毎日、見続けて、あの野沢のホタルの墓を、何十万人のガザの人々が同じ悲しい日々を送っているんだ、たと思ったらばらん、イスラエルよ、いい加減にしないと嫌われるよ。

 帰農人    2024 3/02    ヤギ小屋を引っ越ししたら 死んだミミが出てきた

    帰農人    2024 3/02 
  ヤギ小屋を引っ越ししたら 死んだミミが出てきた

 十日前ほどから、雛飾りを出そうと思っていたが、3月にはいってしまった。昨夜、2,3日でもいいやと、大作業をした。居間の8畳の押し入れは、下にテレビと1升炊きの電気釜が二つ、上の棚には、写真のアルバムとか、レコードなどがある。その奥に雛飾りと5月人形があり、ホコリもすごいし、時間はない。新聞紙を畳の上に引いて、そーっと、手前の物をおろす、何せ重いのはレコードだ。本などよりはるかに重い。その重さがうれしい。 

 その中で見つけた中島みゆきの「miss M、」を久々に聞いた。この新アルバムを買ってテープに録音し、美麻「遊学舎」の、みゆきが好きなカヨさんに渡したが「うまく録音されてるの中々なくて」と5年以上親しくしてたのに、初めてそっけなく無くされた時のことを思いだして、このアルバムは遠ざけていたが、みゆき節は凄くいい、この暗さはなんなんだ。 あの後、カヨさんはヒトシさんと別れ、その後貧乏生活。俺も10万円だまされた、そのことをシタールの公郎に話したら「電話のかけ方は暗号あんのや、俺にも貸してくれ」と笑ってたな。その後、遊学舎は火事で焼け、ヒトシさんも昨年亡くなった、大好きだったカヨさんはどうしてるかな?中々様子が聞けない。

 昨日家の前の無人直売所を片付けようとしたとき、50ぐらいの姉さんが買いに来た。「まえ、ヤギがいましたよね」、あっ、ミミの事だ。5,6年前、ミミを生んだ母ヤギは、子宮が飛び出し翌日死んだ。ちょうど今頃の寒い日、ミミは一人で泣いていた。他のヤギたちも乳の出るのはいない、仕方ないと、うちの廊下で牛乳で育てた。犬用にのおむつを工夫してつけてもすぐにとってしまう。生後十日ぐらいの赤ん坊が逆立ちして足で取ってしまう、その生命力にはびっくりさせられたなあー。新しいヤギ小屋にクンテを初めて入れた後にミミの話とは、神様、、、

帰農人 2024 2/17 菌 菌 菌 菌大好 恭介  菌第一 幸助

帰農人    2024 2/17 

  菌 菌 菌 菌大好 恭介  菌第一 幸助

 味噌仕込みの大イベントは、先週の2日間と今日で終わった。一時も休まず、12月から、最大量の糀を仕込み続けてきた。そして、今日の自宅での仕込み会を無事に終えた!、と思い、昼前にハウスの移築作業に抜け出した、移築期限まで半月を切った。来週は雨が続く、月曜までには屋根ビニールを張りたい。また田んぼの野焼きをせねばとの焦れりがある。味噌仕込みの自宅では、大豆を煮ながら、参加者たちと会話をしたり、ニワトリを放し子だもたちと遊ばせたり、かまどの火仕事や薪割などをやってもらったりしたが、うちの家族や仲間たちも慣れて段取りも良く、大量の大豆を煮る大仕事も少しずつ改良を重ね、今年は大幅に作業時間が短縮できた。マサが「来年からは店で仕込み会をやりたい、うちみたいに裏の外庭までガス管を伸ばしてもらって」と、「うん? なんでここじゃダメなの?」と、ここ数日考えていた。今朝、会場になる作業場の大片付けに、大清掃をしながら、年末の大掃除もできず、天井にはクモの巣だらけ、家回りの落ち葉も降り積もったまま、森のよう、これはちょっと気に入ってる。菌たちには最高の住処だ、でも、普通の人から見たら、なにこれと、驚くよなと思った。全てを任せよう、ちょこっと教えれば大丈夫だ。

 驚いた。松伏のサアファー百姓のジュンが20k以上の糀を仕立て、大量の味噌を仕込んだ。うちにあるコンパネと断熱材で簡単に作った小さな室の作り方から教え、糀や味噌の仕立て方をレクチャーした。疑問の電話がちょこちょこ来る。そしてとうとう100㎏の味噌を仕込んでしまった。

 ジュンの家は農家だったんで、昔の道具が色々残っている、[糀蓋(こうじぶた)]があった、糀を発酵させる最高の平らな杉箱である。発酵途中、温度や湿度を整えるために重なっている平箱をづらして外気とさらす量を調整できるフタでもあるから糀蓋という。40年前位まで使っていたものだろう。「こんな感じでいいんですかねー」と電話があった、いいのが出来ておめでとうである。ご先祖様たちが大喜びしてるぞ、「あのジュンが、あの糀ブタで見事な糀を仕立てたよ」と、まずは糀を仏壇に拝さなければなんね、と進言だね。

 帰農人    2024 2/04  しょうがないけど 一日中 働いてます


     帰農人    2024 2/04 

  しょうがないけど 一日中 働いてます

 井戸掘りに金がかかり、85までは百姓を続けねばと考え出した矢先に、とても元気な92才に会った。マユミの父さんだ。マユミからSメールが来て、ベットに差し込むサイドテーブルを運んでほしいとのこと。3,4日に県民プラザのバリアフリーの部屋でパパリンの誕生会をやるからケーキ屋さんも教えてくれとのこと。マユミは脳性麻痺だが一人暮らしを根性で続けている、今は立川に暮らす。昔は何とか歩いて簡単な料理などもしていた。倒れて半年ほど意識が無く、回復したが、それ以来起き上がれず、会話もできなくなった。でも文字盤を指さしながら会話し、なんだかんだ活動している。マユミの詩を若い市議会議員の兄さんがギターを弾いて歌っている。「フミトルズ」作詞山崎真弓 はやくこないかなぁ、ユーチューブで観れるよ、マユミも映っている。 ケーキはクルミが作ってくれた。数字のキャンドルを買い、昼に訪れた。介助関係の女性たちが5人と親父さんがいた。マユミに頬をくっつけて耳元で仲間の様子を色々話した。マユミは俺の手をしっかり握り続けてくれた。俺の一つ下のマユミは動けないが元気で、心根も何も変わっていない、いい女だ。親父さんとも大いに話し合った、何せ70で亡くなった一つ上で野田の百姓育ちで釣りが好きな親父さん、うちの親父も釣りが好きだった。なんとも感慨深い2時間であった。くるみのケーキ最高のプレゼントだった。二人にドブロクが出来たら持っていくと約束させられた。

 ここ1週間はフランスでの農業者たちのトラクターでのデモが連日報道されていた。デモはドイツでも、またEUの会議場にも各国からトラクターが押し掛けた。輸出できないウクライナの農産物がEUに安く押し出され、全てのの農産物の価格が下がっている。環境に配慮するEUの様々な規制にも従ってきたが、現状ではいい子ちゃんでいたら潰れてしまう、どうにかせい!とのデモに政府は「わかった、変える」とデモ隊に若き首相を送ったりしてる。少し収まった。   半分ほどこれを書いたとこで、一週間ほどかけなかった、遅くなりました

帰農人    2024 1/29 57m 70万円 何回も頭の中をよぎる

     帰農人    2024 1/29 
  57m 70万円 何回も頭の中をよぎる

 井戸は掘れた、あとは電気工事が始まればポンプも移動し、仕事場が大いに変わる。その前に排水管と送水パイプを地下に張り巡らさなければいけない、あとは最後の1棟のハウス移転とトイレとヤギ小屋だ。片付けも結構大変だろうな、でも何とか見えてきた、気張って続けなければ。

 結局、井戸は57m掘った、今回は多少質が落ちても50万円くらいですませたかった、それは3,40ⅿ。打ち合わせで職人さんと打ち合わせをしていた時、とりあえず30m掘って相談しましょうと持ち掛けたら、いい顔してない。トラブルが目に見えてる、そこで40mで相談と変えたらぱっと顔が変わった。  掘る場所にやぐらをたてて、直径20㎝、2mほどの鉄の筒がワイヤーでぶら下がっている、それを水を流し込みいながらどんどんと打ち下ろす。ある程度下がったら、持ち上げて、その筒を30㎝ほどの突起に降ろすと、下の蓋が開いて泥水が流れ出る。その時の土を取りお椀一杯ほどの山が並べられる。最初の20mは粘土、そのあとは砂の層、その砂の層も細かできれいなものになってきた、それは40M近く、もうちょっと掘って終わりにと話し合った、しかしすぐ後に粘土層と小石の層にぶち当たった、それは10m以上続いた、結局、57m、70万円。これから50年、100年以上使える井戸だろうが、俺の現役はあと10年くらいかなと思っていたが、それでは電気代含めて1年間、10万円になってしまう。勘定に会わない、もう10年現役百姓を伸ばすしかない、75くらいだんべなと思っていたのを85。これは考えたことがない、ってことは90過ぎまで生きるということだ。これも考えたことがない、考えろという導きなのかな。

 昨日西荻ホビット村に行ってきた。ナモのお別れの会、50年前にナモと三省とせいちゃん3人がヒッピー有機八百屋を立ち上げた。その後そのムーブメントは一気に広がり、ナモはその最初を支えたレジェンドだ、83才、昨年、風邪から肺炎になり病院で意識もなく9日目に亡くなった、全然死ぬ気ではなかったのだろうが、突然死ぬんだね。