百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 5/06 野ザルが議員にそりゃ大変だよね

「マナちゃん、町会議員に当選した後、全く違った世界で疲れ果てて、いつもそうやんけど、全力で走り切った後は沈む、今度の沈み方は相当で、今、流山の僕の父の家におるんやけど、木工の仕事で3日後にしか帰られへん」「わかった、電話してみる」
丁度次の日、葛飾の仲間の田植えがある、誘ってみた。「ちょっと出てきな、いい仲間たちが迎えてくれるよ」と。
3歳の息子の「おと(音)」とやってきた。田植えには加わらず、周りで水路で遊んでいる子供や女性たちとゆっくり。「婦人会の担当にと言われたが、今年の会の目標はタバコの撲滅、私タバコ好きやけど、もう町ではかいへん、タバコ1本下さい」、「はいよ、何も隠すことあんめい、さらけ出せばいいんだ、難しいけど頑張れ」
数日後ダンナの洋平と3人で夜来てくれた。
その日は、田植え前の代かき中トラクターが故障し、仕方がないと小さなトラクターで作業を続けていたらそれも故障した、さて、どうすんべかと、落ち込んで帰ってきたすぐ後、手も洗わずに迎えたが、何とか気持ちが落ち着いたようなマナちゃんと随分頼もしい男になった洋平の姿に嬉しくなり、酒が進んだ。
そのうちマサも帰ってきて、オトをおもちゃにして遊んでいた。俺も遊びたくなり、笛や太鼓など持ち出し、オトと共演、凄いリズム感にびっくり、さすが二人の息子や。
9時過ぎには帰ったようだが、全く覚えていない。9時前にはいつも意識不明になっている。困ったもんだ。
田植えも後半戦、さてトラクターをだまして動かせられるかな?

帰 農 人 2019 4/27 グリホサート全廃、人類の使命

昨日は看護学校の恒例の田植え、その前に農業の授業、講師は俺、90分、2年生40人たちに好きな事を毎年話している。
2,3日前から車の運転中に内容を考え始める。しかし90分はあっという間、いつもあれこれ話し忘れたことを悔やむ
寒波が来て小寒い中篠突く雨が時折降る中、教室の暖房は暑く、俺も最後にはTシャツ姿に、眠っている生徒も多いが、真剣な眼差しも多く、様々な事を真剣に訴えた。
一番細かく話したことは除草剤による環境や人体への影響だけは心に留めてほしかった。
今国内で様々な名で売られている除草剤の主な原料は「グリホサート」、1970年にモンサントが開発した全ての植物を枯らす薬だ、ベトナムで大量に播かれた枯葉剤だ。
10数年前特許が終わりジェネリック製品が安く出回り、その売り上げは毎年30%の増加を続けている超成長産業だ。
日本政府は応援すべく、食品中のグリサホートの残留規制を0,2ppmから40ppmに緩和した。放射線規制を年間1シーベルトから100に緩和したのと同じ
欧州は禁止に動き、中国でさえ0,2ppmに基準を厳しくした。日本は全ての分野で後進国に向かっている。大豆や小麦の収穫時前にこれを散布し枯らすと収穫乾燥が楽になると勧めさえしている。
一般の食品を食べている国内の人の髪の毛を分析すれば必ずグリホは検出される
発がんは勿論、男性ホルモンの減少、低体重児など様々、また学校や家の周りに散布された除草剤は、化学変化し細胞壁を壊す猛毒となり吸い込む現実
命皆殺し作戦は壊滅せねば。

帰 農 人 2019 4/21 やりくたびれた一週間、ヤギの話し

「うちのヤギ夫婦に中々子が出来なくて、会社の仲間のフィリピン人が、このオスはカタキンだから妊娠しないから食べましょうというので、食べちゃった。なのでメスに種付けをお願いしたいんですけど」と老夫婦がやってきた。
時々鳩を積んだトラックが来て放していたが、それがその爺さん。
ヤギを知っていた。「種付け代なんかいらねえよ、面白いから連れてきなよ」。数日後太ったのんびりしたアキコがきたら、オス山羊2頭はフガフガ鼻を鳴らしてもう大変
俺は観てないが、報告によると両方が何度も乗りまくっていたそうだ。夜小屋の中でも大暴れ、仕切りのドアが滅茶苦茶に壊れている。
最近はジジイのイカロスが孫のクンテに負けていてとてもおとなしくなっていたが、なんとその爺さんの方にアキコが寄り添った。
その後イカは突然元気になり、戦いでクンテが負け隅の方で丸くなっている。ジジイ復活である。その後アキコは両方にすり寄りなめ合ったり、尻お向けたり、発情を続けていた。今までこんな色っぽいヤギは見たことなかったのでびっくりポンである。
今日アキコは連れて行かれた。夕方小屋に戻したマコトによると「すっかり大人しくなっちゃいました」とのこと、今後の彼らの様子を見るのが楽しみだよね。

今日「手作り地鎮祭」をやってきた。新松戸の「フーカフェ」を新築する前に、その土の上で何かみんなで遊びたいとアヤちゃんから相談を受け、地鎮祭を提言
アヤちゃんは麻織物の職人だ。麻いっぱいの祭壇と敷地を囲む麻ひも、さすが、俺は初めて作った詔(みことのり)、緊張して読み上げたよ。

帰 農 人 2019 4/12 なんか変化 60も面白いかも

どんどん好きな人たちの訃報が入る。ショウケンに白石冬実にケーシー高峰
ショウケンは何と言っても「傷だらけの天使」、今までで一番好きなドラマだ、あの頃ビデヲはなくて、友達が最終回を録音したのを何度も麻雀しながら聞いたっけ。チャコちゃんこと白石冬実さんは中学のころ一番愛していた深夜放送、TBSの「ナッチャコパック」
パートナーの野沢那智の言葉や劇団「薔薇座」の座主でもあり二人とも声優の大御酒でもあり、かっこいい大人をあこがれた。
いつかしら「アッチ」を「あち」にニックネームを変えたのは「那智」への憧れである。
ケーシー高峰も尊敬してきた。晩年まで芸は冴えわたっていた。数年前に観た「オスプレイ」が忘れられない。
「心の病もどんどん落ちちゃんですよ。乳首を押せば。これがオスプレイ」凄いなと感心し、それが老いに対抗する言葉のマジックにもなっているから凄い。
ショウケンのライブのレコードを久々に聞く。「大阪で育ったおんなやさかい、東京へはようついていかん、イェーッ!」と、彼のブルースは沁みる。
傷だらけの天使」は再放送の旅に録画してきた、馬鹿野郎どもの大演歌、情けないのがともかくいい。
毎週3枚づつ借り続けた落語のCD、最近は聞いていない話を探すのに苦労する。
生で初めて聞いたのは林家正三、高校に変な国語の先生が連れてきた。
正三は笑点のキクゾウが師匠の正三の物まねをよくやっていた。震える声で「てめ~ら、長屋の~」。正三一門の会が毎月日本橋の「たいめいけん」であった。
第二水曜日「二水会」通った、高校生だった。

帰農人  4月6日 貝人は旅に、クルは真澄の店長に

貝人が消えた。転職してすぐに引っ越ししたらしい。
日本橋の方らしいということ以外職種も住所もわからない。あんなに毎晩のように母ちゃんと長話してたのに、ぴたっと少なくなり、転職の事も殆ど語らなかったらしい。まあ電話が通じるからなんか言ってくるまでほおっておこうということに。
日曜日に「引っ越しは終わったから」と最後の電話があったらしい。その一週間前位に「父ちゃんのをだいぶもらったから」とゴールデンバットを1カートンくれた、あれが挨拶か、いいね、クール。
困ったのはミーコ。ご主人様が急にいなくなり困ってみんなの周りをうろうろ。忙しい俺の所など絶対来なかったのに、こたつに入ったまたぐらに居座ったり腹が減ったと要求するようになる。猫の心と秋の空かい。

いつも今の机に置かれたトイレットペーパー、食事後の食器や牛乳パックなどを片付けながら「しょうがねえなあでも出たらすぐにちゃんとするんだろうな、奴のことだから」と常に思っていた。
6番目の末っ子で母ちゃんとはべったりだった。亡き父も同じ境遇、小学五年生まで乳を吸ってたという。そして結婚後は母を預かった。祖母ハナに幼いころから面倒を見てもらい、小6の時まで同じ部屋に暮らした。父はチビで喧嘩ばかりしてた。
貝人も高校の時大事件を起こした。なんか縁がある。父は高等小学校を出た後、鎌倉の八百屋の丁稚に入り、市場仕事の次に結婚をし、八百屋を立ち上げた。奴はどう転げまわるのだろう。灰皿に貝人のタバコがあった。ちょっと捨てるのにためらった。

帰 農 人 2019 4/01 キジのペアリングがはじまったね

ようやくコッコたちが卵を生み出した。一日に7,8個、大体一斉に朝産む。
餌やりに行った時採ってくるのだが、今朝は一つもなかった。あれ、腹空かして卵を食べたかなと大心配、突っつく癖がつくと面倒だ。
餌をやって30分もしてみると、8個産んでいた。良かったぁー、明日からはなるべく朝早く餌をあげよう、少し多めにね、オンコッコもしっかりした時の声を出せるようになったがまだ声が小さいし、交尾もしていない、食べるのなら今が一番うまいのだろうな。

まだまだ朝夕は冷える、数日先には氷点下の予想が、じゃが芋の芽が出てきたが、霜には極端に弱い
トンネル内の南瓜やヅッキーニ、ハウスのトマトやキュウリも心配だ、予報よ変われと毎日テレビとにらめっこ。
霜は困るがこの花冷えは大好き、朝晩ガンガンストーブで燃やせる。
少し前、植木屋さんから薪を軽トラ2杯ほどの使いやすく割ってあるのをいただいた。ありがたい
しかし生木であり、燃やしていると端から水がジュウジュウ出てくる、ある程度乾いた薪でまっ赤なオキを作った後でないと良く燃えない、少し細く割ったりして工夫しているうちに扱い方もなれ、太いのもきれいに燃やせるようになった。火遊びは楽しいのだ。
先月から運河駅の屋内通路で月に一、二度ある宗教団体の例祭に合わせて野菜の販売ができるようになった。玄米餅が良く売れるので、普段はこの時期には販売を注視するのだが、まだまだ続けられそう。
蒸かしていたら「餅の種を作っているの?」と研修生。あれっ?

帰 農 人 2019 3/23  自分が遊べなかったら、ダメだよね

10日前まではある意味で冬であった。
以前定植したキュウリや枝豆などが一夜にして霜枯れたことも度々、だからと言って定植を遅らすと、温床の苗たちはひ弱に育ちすぎ、それも困る。
ともかく多すぎる種類を同時に育苗するのは全く厄介だ。
ひょろひょろ育つなよとある程度の苗には強い水をかけなぎ倒して強くさせる。でも次の枝豆やトウキビたちには暖かく早く発芽させたいと暖かくさせたいとのようなものとが混同している。移動の時間も採れない。
田んぼの準備もあり、遠慮なく草も一気に生えてくる。どの仕事からこなしていけばいいのか毎日葛藤である。でもなんか心に余裕があるのが不思議だ。
「なんか乗り切れるんでねぇ」という百姓25年目の余裕なのであろうか。ともかくやれる中で売り上げを1割100万円づつ数年伸ばし続けなければ農園の存続はりえないという現状だ。
ただただ働いて仲間を叱咤激励して働くのはもう嫌だ、酒を飲み、本を読み、人に会いながら更に営農を極めたい、昨年までは無理だとあきらめていたことが、なんかできそうな予感が出てきた。
遊びの部分が却って仕事を進める原動力に転嫁するのかも。

図書館に行って落語のCDとDVDを借りてきた。「本は良いんですか?」と窓口で聞かれた。
まだ借りてきた本があるので面白そうな本を見つけたがあきらめた、現代農業や消費者レポート、デイズジャパン、名前のない深部や反原発千葉などをもっと丹念に読まねばとやっと決心がついた
それらを仕事として昼に読むと決めたから