百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 5/25 水路で死んだ鯉の上に亀が乗っかっていた

2日前までコタツに豆炭を入れていた、2個だけだけど。
田んぼの除草機「アメンボ号」をかけた後、潰してしまった苗などを補植する作業が数日続き、数年使ったぴったり長靴にも穴が空き、足は小半日水に漬かる、けっこう冷える足にコタツはありがたかった。
でも今日は急に30℃、田んぼの上でアメンボの操作していただけなので体力仕事はしていない、なのに夕方前あたりから急にだるくなった、熱中症の直前状況
たいしたことは無い、帰ってサーバーから有機の越後ビールをいつもの2倍飲めば元通り、でも還暦を二日後に控え、チャライ体になったなぁと、少し悲しい。
ここ10年位バースデイ登山はやっていない、以前なら5月の終わりには何とか田畑の大仕事が落ち着き子供らや友人などと朝早く出て昼ごろには下山して温泉に行くなどを続けていたが、毎年作付するものが増加し間に合わなくなり、バースディ登山どころか、休日も無くなった。
そんな状況に反抗して1年前程前から始めた図書館通いは続いている。
寝起き後、帰宅後の1時間がゴールデンタイム、先週は西行中尊寺の関係の中に蝦夷の歴史を垣間見たり、井上ひさしの「1週間」では、シベリアに抑留された兵士60万人の状況や、いや日本政府が、焦土と化し飢える民を抱へ、ロシアへ100万の満州の人を作業員として使ってくれとの新書を皇室から出していることもほのめかされている。
マッカサーへも「沖縄は自由に使ってくれ」との昭和天皇の文書もアメリカで開示されている。
簡単に人を棄てる国は続いている。

帰 農 人 2019 5/19 こんなに雨がない春は初めて

もう地温が15℃になり、育苗にも保温の手間が無くなった。
昼過ぎ23℃であったが、久々に仕事が少しゆっくりできたので、3時過ぎまで読書と昼寝。
久々だなぁ。午前に続き田植え10日目の除草作業、アメンボ号でつぶつぶと発芽したてのヒエやコナギなどを踏みつぶしていく。
まだ稲も活着したばかりで小さい、田んぼの深みではアメンボの車輪が土を掘り起こし、せっかくの苗を埋めてしまうこともしばしば、残念、でも手はないかと考えながら、いつもより丁寧に進めていく、手応えはある
稲刈り後の耕運作業でいかに浅く耕すか、アメンボの車重を少しでも軽くする工夫をするか、深い所だけ簡易除草機に変えるかなど色々考えながら田の上を走る。
田の草取りを効率的にできるようになれば有機の田んぼが増え、生態系は蘇り、小鮒釣りしかの川も夢ではない。
人々の健康を願って米や野菜を育てているのではない
微生物から昆虫や鳥魚、獣等の復元を願って日々祈り暮らしている
「いただきます」と言うのは全ての命をもらいますとの祈り、「御馳走様」は、様々な手が加わって御馳走が施されたことえの感謝、その思いが少し心の中で芽生えてきた感じが嬉しい。
感じなくとも大切な事と思えることを祈り続ければ血肉となりえるとこともある、少し嬉しい。
愛や慈悲の心など自分の中にどこにあるんだとの中学生の頃からの悩みが少しほどけるかもしれない
でも遠いな。

キュウリも採れはじめ、トマトも赤らみ始めた、厳しい端境期も終わりそう。嬉しい、百姓の幸せ。

帰 農 人 2019 5/11 4か月すれば稲刈りだ、始まりはじまり

先ほど田植えを終え、田植機を感謝して洗い上げ一息。腕がパンパンである。
田植えで一番大変なのが苗運び、1枚5kgの苗箱を500枚、プールより軽トラに乗せ畦に並べ、田植え機に1枚づつセットする。
苗の根は箱の穴下に伸び、刺し板で切り取るのだがこれが結構力がいる。
田植えを初め出したころ思い付いた、鉄の刺し板の先を包丁の様に研げばいいかも、これが当たった。
スパッと切れる。こんなことなんで何年もやってて思いつかなかったのだろう。代かきも田植えも水位の調整が大体しっかりできた、忙しさにかまけず、手間をかけられた。
1㎝の水位を調節するのに10tの水の出入りがいる。あちこちに散らばり、どれも水の流れが違い、他の田の事も考えなければいけない。
先日軽トラで昼飯を食べていたら、自分の田に急いで水を入れようと兄ちゃんが水路をうろうろしていた、丁度程遠くのハウスの陰にいた俺の事は気がつかないようである
さてと見ていると、俺の田に水を入れるために水路に置いた土嚢を持って行った、無礼な、その後また俺の田に戻ってきた、水口をふさいで逆流しないようにしたようだ、そして夕方には元の通りになっていた。以前はもっと荒っぽいことをしていた兄ちゃんだけど少しはやべえかなと思い出したのだろう。
10年前には凄い婆様がいて、水が欲しい時は平気で畦に穴を開け水を盗んだ。幾度か修復してもまたやるので、板に「ダメ」と書いて差し込んだこともあった。でもその餅屋の婆さん亡くなってしばらく経つ
手伝ったことが懐かしい。

帰 農 人 2019 5/06 野ザルが議員にそりゃ大変だよね

「マナちゃん、町会議員に当選した後、全く違った世界で疲れ果てて、いつもそうやんけど、全力で走り切った後は沈む、今度の沈み方は相当で、今、流山の僕の父の家におるんやけど、木工の仕事で3日後にしか帰られへん」「わかった、電話してみる」
丁度次の日、葛飾の仲間の田植えがある、誘ってみた。「ちょっと出てきな、いい仲間たちが迎えてくれるよ」と。
3歳の息子の「おと(音)」とやってきた。田植えには加わらず、周りで水路で遊んでいる子供や女性たちとゆっくり。「婦人会の担当にと言われたが、今年の会の目標はタバコの撲滅、私タバコ好きやけど、もう町ではかいへん、タバコ1本下さい」、「はいよ、何も隠すことあんめい、さらけ出せばいいんだ、難しいけど頑張れ」
数日後ダンナの洋平と3人で夜来てくれた。
その日は、田植え前の代かき中トラクターが故障し、仕方がないと小さなトラクターで作業を続けていたらそれも故障した、さて、どうすんべかと、落ち込んで帰ってきたすぐ後、手も洗わずに迎えたが、何とか気持ちが落ち着いたようなマナちゃんと随分頼もしい男になった洋平の姿に嬉しくなり、酒が進んだ。
そのうちマサも帰ってきて、オトをおもちゃにして遊んでいた。俺も遊びたくなり、笛や太鼓など持ち出し、オトと共演、凄いリズム感にびっくり、さすが二人の息子や。
9時過ぎには帰ったようだが、全く覚えていない。9時前にはいつも意識不明になっている。困ったもんだ。
田植えも後半戦、さてトラクターをだまして動かせられるかな?

帰 農 人 2019 4/27 グリホサート全廃、人類の使命

昨日は看護学校の恒例の田植え、その前に農業の授業、講師は俺、90分、2年生40人たちに好きな事を毎年話している。
2,3日前から車の運転中に内容を考え始める。しかし90分はあっという間、いつもあれこれ話し忘れたことを悔やむ
寒波が来て小寒い中篠突く雨が時折降る中、教室の暖房は暑く、俺も最後にはTシャツ姿に、眠っている生徒も多いが、真剣な眼差しも多く、様々な事を真剣に訴えた。
一番細かく話したことは除草剤による環境や人体への影響だけは心に留めてほしかった。
今国内で様々な名で売られている除草剤の主な原料は「グリホサート」、1970年にモンサントが開発した全ての植物を枯らす薬だ、ベトナムで大量に播かれた枯葉剤だ。
10数年前特許が終わりジェネリック製品が安く出回り、その売り上げは毎年30%の増加を続けている超成長産業だ。
日本政府は応援すべく、食品中のグリサホートの残留規制を0,2ppmから40ppmに緩和した。放射線規制を年間1シーベルトから100に緩和したのと同じ
欧州は禁止に動き、中国でさえ0,2ppmに基準を厳しくした。日本は全ての分野で後進国に向かっている。大豆や小麦の収穫時前にこれを散布し枯らすと収穫乾燥が楽になると勧めさえしている。
一般の食品を食べている国内の人の髪の毛を分析すれば必ずグリホは検出される
発がんは勿論、男性ホルモンの減少、低体重児など様々、また学校や家の周りに散布された除草剤は、化学変化し細胞壁を壊す猛毒となり吸い込む現実
命皆殺し作戦は壊滅せねば。

帰 農 人 2019 4/21 やりくたびれた一週間、ヤギの話し

「うちのヤギ夫婦に中々子が出来なくて、会社の仲間のフィリピン人が、このオスはカタキンだから妊娠しないから食べましょうというので、食べちゃった。なのでメスに種付けをお願いしたいんですけど」と老夫婦がやってきた。
時々鳩を積んだトラックが来て放していたが、それがその爺さん。
ヤギを知っていた。「種付け代なんかいらねえよ、面白いから連れてきなよ」。数日後太ったのんびりしたアキコがきたら、オス山羊2頭はフガフガ鼻を鳴らしてもう大変
俺は観てないが、報告によると両方が何度も乗りまくっていたそうだ。夜小屋の中でも大暴れ、仕切りのドアが滅茶苦茶に壊れている。
最近はジジイのイカロスが孫のクンテに負けていてとてもおとなしくなっていたが、なんとその爺さんの方にアキコが寄り添った。
その後イカは突然元気になり、戦いでクンテが負け隅の方で丸くなっている。ジジイ復活である。その後アキコは両方にすり寄りなめ合ったり、尻お向けたり、発情を続けていた。今までこんな色っぽいヤギは見たことなかったのでびっくりポンである。
今日アキコは連れて行かれた。夕方小屋に戻したマコトによると「すっかり大人しくなっちゃいました」とのこと、今後の彼らの様子を見るのが楽しみだよね。

今日「手作り地鎮祭」をやってきた。新松戸の「フーカフェ」を新築する前に、その土の上で何かみんなで遊びたいとアヤちゃんから相談を受け、地鎮祭を提言
アヤちゃんは麻織物の職人だ。麻いっぱいの祭壇と敷地を囲む麻ひも、さすが、俺は初めて作った詔(みことのり)、緊張して読み上げたよ。

帰 農 人 2019 4/12 なんか変化 60も面白いかも

どんどん好きな人たちの訃報が入る。ショウケンに白石冬実にケーシー高峰
ショウケンは何と言っても「傷だらけの天使」、今までで一番好きなドラマだ、あの頃ビデヲはなくて、友達が最終回を録音したのを何度も麻雀しながら聞いたっけ。チャコちゃんこと白石冬実さんは中学のころ一番愛していた深夜放送、TBSの「ナッチャコパック」
パートナーの野沢那智の言葉や劇団「薔薇座」の座主でもあり二人とも声優の大御酒でもあり、かっこいい大人をあこがれた。
いつかしら「アッチ」を「あち」にニックネームを変えたのは「那智」への憧れである。
ケーシー高峰も尊敬してきた。晩年まで芸は冴えわたっていた。数年前に観た「オスプレイ」が忘れられない。
「心の病もどんどん落ちちゃんですよ。乳首を押せば。これがオスプレイ」凄いなと感心し、それが老いに対抗する言葉のマジックにもなっているから凄い。
ショウケンのライブのレコードを久々に聞く。「大阪で育ったおんなやさかい、東京へはようついていかん、イェーッ!」と、彼のブルースは沁みる。
傷だらけの天使」は再放送の旅に録画してきた、馬鹿野郎どもの大演歌、情けないのがともかくいい。
毎週3枚づつ借り続けた落語のCD、最近は聞いていない話を探すのに苦労する。
生で初めて聞いたのは林家正三、高校に変な国語の先生が連れてきた。
正三は笑点のキクゾウが師匠の正三の物まねをよくやっていた。震える声で「てめ~ら、長屋の~」。正三一門の会が毎月日本橋の「たいめいけん」であった。
第二水曜日「二水会」通った、高校生だった。