百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 8/17 文明の極致は原爆、払いとるのは文化

新築中の「フーカフェ」では、職人のお盆休み中、仲間たちで壁塗りをしている、娘たちが手伝いを楽しんできたようだ。
下地を縫塗り、漆喰をその上に塗るそうだ。下地は珪藻土のようなものに炭の粉と酵素を混ぜたものだという。麻織物の職人としてかなり腕を上げたアヤちゃんは、富士山信徒たちの首にかける麻ひもやお守り等の注文が多くなった。常に「気」の文化に気をかけ続けている。
炭や酵素珪藻土に麻、この国の中で清めに使われてきた大切な文化だ、その対極には悲しいがプルトニウムがある。
地球全ての命を簡単に葬り去る最強の毒物を日々大量に生産し続けている。
火と鉄を操り剣や矢を作り戦争の歴史が始まり、究極に原爆が創造された。
3千年の人類文化史は明日滅亡しても不思議ではない現状ではない中で、細かな地権を日々争っている。全世界の人類史が全ての命を絶滅させる日を明日かもと背負い続けながら生きる人々は、欲望の資本主義帝国に監視の目を養い、ひょっとするとあっけなく平等の世界が広がるかもしれぬ明日に、日々立ち向かっていく。原動力は家族、仲間、地域と文化の成熟しか今はできることはないのではないかと思う。
 第2次世界大戦前からの大陸への侵略から始まり、一億玉砕とまで叫んだこの国の狂気の歴史を国民は学んでいない。国家組織に都合悪い人を産まない様に細心の注意を払って学校を運営している。
その態度続ける内は中国と朝鮮両国との和は訪れない。教科書を変えればあっという間に関係は変わる。         
 瓦屋根や竹を編んだ壁、木と土と紙でしっかりとしたこの国の家屋が消え去る中、気持ちよく日々生きる方法はこっちだ、と言いつづける人たちと共に声を上げ続けたい。
そんな事しかできないが、けっこう世界的にそこが重要なポイントだと思う。

帰 農 人 2019 8/12 大きな国は文化を殺し続ける

米の在庫は7月に無くなった。さすがに自家用は残し、今最後の袋を精米している。
田んぼの稲は穂がきれいに出て、日々だんだん垂れ下がってきた。お盆が終われば稲刈りはもうすぐだ。
この時期から急速に大きくなる雑草が「ネムノキ」だ。ほっとけば大木になり田んぼを覆い尽くす。早く抜かねばと思うが、ともかくお盆くらいゆっくりしようと、つい本を読んでしまう。 
宮城谷著の三国志に挑戦だ。司馬遼太郎が「中国の文明は三国志の頃が最高で、その後国が大きくなると文化の発展は衰えてくる」と書いていたのが気に掛かった。
確かに現在も大きな国は厄介その物、EUもある意味で大国、そこにも問題がある。
ともかく興味あるのに手をだせなかった源氏物語三国志、読み始めたらなるほど大変だがすぐに引き込まれて半日を過ごした。第一巻は後漢が衰退していく様子が書かれている。
その後に3国時代がはじまる。皇帝が民を見ず、皇后や側近たちが栄華をつくし、正義を訴える者たちはことごとく殺されていく、陰謀が渦巻きどうにもならない状況は、まるで今の日本とおなじだ。さてさてどう崩れていくのか楽しみだ。

真澄屋開店以来のお客さんで今はカメラマンとして頑張っているKさんが今度銀座で7人展をやるという。
5枚の写真はおれや、ルミちゃん木野ちゃんなどを撮ったものだという。「題名を(帰農人)にしたいと」と了承の電話があり、嬉しかった。 
百姓を始めたころから毎週書いてきたコラム「帰農人」。
八百屋を始めたころ「プロジェクト、イシ」というピッピー八百屋の組織があり、俺は「帰農委員会」立ち上げて「月刊帰農人」を発行しようと考えて山尾三省にも書いてもらったが、2冊目は出なかった。
他の二人と活動していたがその二人がすぐに仲良くなり百姓になってしまった。今も元気だ。
電車で寝てしまい、仕方なく国分寺のイシの事務所に深夜帰ると、2人がおなじ布団に。初めての不倫の現場、唖然

帰 農 人 2019 8/03 弱肉強食が世界の趨勢、その因果はどこに

高1の今頃地方予選を終えた野球部にまとまった休日があり、初めて登山を試みた。
まずは上高地北杜夫が書くウエストン碑の話しをもとに、昔の古道を経て穂高を仰ぎ見たかった。
従妹に二人の登山愛好者がいたので情報や装備などはすぐに揃う。穂高を仰ぎ見る峠の小屋では薪ストーブが炊かれていた。
上高地におり、雑魚寝の安宿にいたら、外で騒いで歌っている声が続いていた。そのうちに、なんと母校の校歌が聞こえてきた、もう卒業した先輩たちであった。
その中に混じっていた伊万里出身の明大の山岳部の人と仲良くなり、西穂高の独標まで連れて行ってもらった。
その後野球部で連休をとれる時は足繁く山に通った。新田次郎の「孤高の人」にいたく感銘を受け、一人で登ることが多かったが、中学で同校の友が山岳会も属し、岩登りなどの装備を持っていたので、共にハマって練習をしたが、谷川岳挑戦し、弾き返され、高3の正月に船橋山岳会の大人二人に混じり北アルプス五竜に挑戦したが天候悪化と俺の体力消耗の為に、山頂を目の前にして引き返してくれた。
中学の時愛した蒸気機関車と高校時代の山はずっとどこかで引きずっている、あこがれの世界。

その山を教えてくれた7つ上の従妹が昨日がんセンターで手術をした。
喉頭がんを切って胃を伸ばして繋ぐという6時間以上かかる大仕事、手術前にひやかしに行った。
小さい時からごく身近に暮らし、山の先輩であり、野球にも誘われ、長嶋が引退の年ダッグアウト裏で観戦し、なんと長嶋が3本のホームランを打ってくれた。
また野坂昭如の滅茶苦茶コンサートにも連れて行ってもらったこともある。
吉永小百合さんから手渡されたラグビーボールを会場に野坂さんが蹴った光景が忘れられない、それから今まで野坂さんのレコードは思い出したように何回も聞いている。
四畳半襖の下張」の猥褻表現で裁判で戦っていた元気な頃、三輪明弘「星の流れに」などを歌い戦後の匂いいっぱい、昭和からの思いをつなげたい。

 帰 農 人 2019 7/27  市民が世界を見据えて、街人同志で助け合う世界

くるこ(長女のくるみ)が読んだ本を回してくれた。
ブレイディみかこ著「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」という出版されたばかりの本だ
英国在住のみかこさんが中学生の息子の日々を軸に学校や町の様子を綴ったもので、現在の英国の様子が良く書かれていて面白い。
街の中に社会的格差がはっきり出ていて、公立の進学校区域は家賃が値上がりし、底辺校に貧困層が集まりドツボにはまる。息子は家の近所にある、その元底辺校に入る。
現在は校長や先生たちが貧困や移民問題ソーシャルワーカー的存在になり親身に親子共に付き合い、かなり面白い学校になってきたところである。
アイルランドと日本の親を持つ息子は日々の中で差別される友人知人たちの中で心を揺さぶられながら育っていく姿が嬉しい。
スウェーデンの少女が学校を休んでは国会前で温暖化阻止を掲げての座り込みは今や世界的な広がりを見せて、凄いなと拍手を送っていたが、英国では理由のない休みには高い罰金が与えられる、貧困層学校ではデモに参加することもできない。
エリート校や私学は緑の党支持の先生も多く、デモの時間に合わせ休校にしてしまうが、一人の子も見捨てようとはしないこの学校ではそんな余裕はなく、ニュースでかっこよく映し出されるエリート校の映像を見ながら屈折し、「俺たちもデモに行きたかった、でもプアでガラの悪いガキだから、デモに行くのを禁止された、あれはリッチ、グッドキッズの運動、俺たちだってこの星の為に騒ぎたかった~」と音楽部のバンド仲間でラップ曲を作り、ちょっと上流過ぎる緑の運動をなじった。
なんか俺の心にも刺さった。
「えらそうなこと言ってんじゃねぇーよ」と言われた気がする。
格差や戦争、移民問題の渦中の多くの人は、温暖化や自然の仲間たちの命などに向ける感心の余裕などないのが当たり前だよね。
「誰かの靴を履いてみる」という表現が英国にはあり、人の立場になり考える事を授業でみっちり仕込まれる。
誠に羨ましい限りだ、文科省よ消えろ。

帰 農 人 2019 7/20 地域は瀕死だが まだ生きとる

商工会の平和台支部の総会が7月末と決まり、会員82名などに配る総会資料作成に半日を費やした
製作費として5千円もらえるがインクで2千円かかるので、割りがあわない。
でも数十年ほぼ固定され逃げられない役員10名は それなりに我慢しながらやっている、みんな えらいのだ。

入会したのは真澄屋開店の翌年、大好きなガソリンスタンドのオッチャン(社会党市議でもある)が自宅にきて「入ってくれ」と言われ、「ハイ」と条件反射的に答えた4畳、6畳にボロ家作の玄関での会話は覚えている。
ともかく地域を知らんと、中に入らんとダメじゃ、と、ヒッピースタイルで地域に潜入し始めた。長髪とひげにモンペ姿で学校のPTA、けっこう潜入した
学年長、広報委員、会長選抜隊の責任者なども。街のタヌキたち、小ボスの心も含めた利権構造肌で感じられた、いい勉強の4,5年であった。

商工会も40年前のその頃は、みんな元気で商売もバンバンやっていて行事が多かった、すぐにボーリング大会の責任者になり、もう30年も続けている、おかげで、一年に一度はボーリングへ家族みんなを招待できた。チビども6人はそれなりに毎年楽しんだ、日帰りバス旅行に変わりに長男圭太に行ってもらったことがある。中学校不登校の圭太が飲まされ、ニコニコしながら帰ってきた。いい親父たちであり、ステキな息子だ

今は皆、遺産と利権を食いつぶしながらも、それなりに日々を楽しんでいる。
生魚を置いてない魚屋も、書類で埋め尽くされ続けていく時計屋さんなども、元気に毎日店を開ける。給食や市への納品などは、ありがたいお布施である。
もうギラギラして声の大きい人は少なくなった。
もうみんないつくたばってもおかしくないとあきらめているし、商売も諦めている。
でも ひょっとして世の中の流れが ひょい と変わった時、役に立つ人たちである事間は違いなし。

帰 農 人 2019 7/15 みんなえらいなぁ、頑張っとるなぁ

仲間が主催している自主上映映画「コスタリカの奇跡」という映画を見てきた。
南米コスタリカ、幸福度1位か上席、世界の軍備の縮小に積極的に発言し、国民も政治世界情勢をよく理解し、素敵な指導者とは酒杯をあげ、腐ったやつらはこき下ろす。
なんともうらやましい。1948年に軍隊を廃止し福祉や教育等に予算を回し、ガァテマラからの領土略奪にも国際司法に訴え解決し、一時はアメリカの軍事基地にも利用されたが、国民の訴えの元に最高裁違憲と米兵を追い出した。国民は学んでいる
「軍隊は米国に逆らった政府へのクーデーターの道具だ、忠南米では20回以上やられている」と学校で学んでいる。
コーヒーやバナナを基本経済として、政治的安定さで工業もかなり入り、インテルが大きく成長に寄与したそうだが、米国からの貿易協定により、メジャー産業が小売店を圧迫し、貧困の差も急激に拡大。
またコロンビアから米国へのコカインの流経地として国内でも利用者が急増し、犯罪も増えているそうだが、国民の意識の高さと祖国への誇りは揺るぎない。
真澄屋店長のくるみも観に行って「泣けてしまった、人を耕し、街を耕すことを国単位でできているの、まじすげえ」と野菜の注文書の片隅に書いてあった。
最近社会活動から少し遠ざかっている我が身姿を少し奮い立たせねばと娘の言葉に背を押された。

美鈴さんの葬儀の前に床屋に行った。その前に旦那が早死にしたいつもの店、15日位から嫁さんが再開するというのでその前に特別やってもらった。
美鈴さんとは真逆で、家族は最後まで「頑張って回復しようね」と寄り添い続け、彼も痛み止めで朦朧としながらも亡くなる30分前まで会話が出来たという。様々である。
天神庵の開幕演奏をしたシタールのコウロウは意識無しのミサトさんをもう11か月看病を続けている。
「大変なのは彼女や、大好きなミサトを看病できるのは幸せ、絶対聞こえている」と話すあんたはエライ。

帰 農 人 2019 7/07 なぁーんみょうーほうーれんげーきょーうー

「妻はあと数日の命です」と40年間八百屋仲間として日々付き合ってきた「八百屋 旬」の香取さんから電話があり、すぐに見舞いにいく。
2週間前から床に臥せてはいたが至って元気であり、1時間近く手を握っていたが、その手の握力はしっかりし、この所眠れない日々が続くという割に、元気に話すことが止まらない
すでに遺書も書き、葬儀のお返しには福島の惨状をいつもみんなに思い続けてもらいたいと、仲間が書いた詩と写真の本を250冊取り寄せ、自分の身体は自分でケアすると最後まで医者を拒んでいたが、死亡診断書がないと警察が入ってきて大変と医者探しを家族に命じ、「早くこの身体を楽にさせてあげたいから水と食べ物は控えてるの」と他人事のように明るく話す。オリンピックのバカ騒ぎも見ないで済むのは幸せと、こりゃ困ったものだ
連れたちと「ありゃ、下手すると奇跡が起こるかも、癌やなんかも消え去るかも」と話した翌日、親族等が皆見舞いに来て元気に話し合った夜、さあっと逝きやがった
まことに見事、歴史に名のある武士や僧侶でも珍しい位の死にざま、馬鹿がつくほど真面目な夫婦、付き合いながらも誠に不思議と感じていたが、美鈴さんの枕元にあったお父さんの自叙伝の本があり、渡され読んでいるが作家の歴史小説より面白い。
長女が産まれてすぐに徴用で満州に出兵したあとシベリアでの抑留おあわせて帰国までの7年間の途中まで読み終え、昨日今日と葬儀の受付をして先ほど戻った。
本の中で赤ん坊だった長女と焼き場に行きがらのバスの中隣になり、深く話せてとても不思議であった。
また葬儀を仕切った日本山妙法寺との縁を作った、僕がインドで出会った「ナベさん」ことナバタメ上人がルンビニで仏塔建設の責任者で活動中、給与支払日に強盗に襲われ撃たれて亡くなったのが7月3日、同じ命日。
これにはたまげた、そして骨になった今日は七夕、永六輔さんの命日、不思議な雨の1日。