百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2020  7/04 ゴキブリが美しかった

今日は娘二人と会津の山に登って那須のルミちゃんの家を訪ねる予定だったが雨で中止、昨年もダメだった、秋にまた計画を。9月22日が第二子の誕生予定なので、その後かな。

昼飯中テレビを見てたら「三ッ峠」が映っていた。高校生の頃夜行で岩登りの練習に行った記憶がある。「大根おろしフェース」という難度の高い壁に一人で挑んでいたがまるっきり登れず、勿論ザイルは確保していたが、どうしようかと困っていたところ通りかかりの若いクライマーの二人がサポートしてくれた。お礼に缶詰の具を入れた特製ラーメンを振舞い喜んでもらえたことなどを思い出した。

こんなに雨量の多い梅雨は初めてだ、ここひと月田んぼの水は常にある、見回りの時間が大幅に少なくなりありがたい。
でも一部草が多く生えている所が数か所。畑の仕事を進めて草刈りをしたいが、できるかな? 
月曜日から法律事務所を辞めて農家を目指す女性が2週間泊まり込みの研修に来る、彼女の仕事は草取りだ、頑張ってもらおう、体力的適正も確かめたいとのこと、頑張ってもらおう!

先日スタッフ、マコトの都市部に住む友達がいきなり「手伝わせてください」と畑に来た。困ってしまった。彼がどのような思いで来たのかも知らないし、どのように暮らしているのかもわからないのでコロナ感染の心配もあるし、でも良さそうなやつだし、でも午前の収穫で忙しい時間だったので、仕事を手伝ってもらうためのサポートができない。
慣れない人に作業してもらうと、作物とわからず踏んづけられたり抜かれたり、収穫の選別がダメで後で時間がかかったり、関係や出会いを踏みにじることもままある、思い切って断った。
5月に新宿の古い友達から同居する息子が農作業したいと言ってると連絡が来た、これははっきりヤバいと思い断った。「何とか東京から抜け出し潜り込めると思ったのに」との息子の言葉に判断は正しいと思った。

 多雨のせいだろうか、虫が少ない、蚊やハエも少ない、カメムシもアブラムシも少ない、でも数日前、ゴキブリが異常に元気な日があった
明け放れた家の中を10匹近くが這い回り飛び回っていた、きれいで美しかった。

帰 農 人 2020  6/29 マスクは人を役者にするね

吉祥寺での祝い事に、その後数日、酔っ払ってる感覚が抜けず、もろマヌケ状態の中。
火曜日、「いとこのT子ちゃんが亡くなったんだってよ」本家の布団屋のカズオちゃんからの電話、90の叔母さん3人は頑張っている、みんなまだまだ行けそうだ、うちのおふくろを最後に、十数年、父方の葬儀はなかった。
従妹は13人いるが初めて、なんか不思議な感覚を覚えたが、ともかくまずは「いくらもってけば?焼き場は?」「なんせイトコは初めてなんだから、姉ちゃんと相談して連絡する」
T子ちゃん66才、娘二人の長女、6人兄弟の5,6番目のノブさんと越智のオヤジ、2人は仲良く、いつも背中を登ってくる幼児の俺に良く付き合ってくれた、笑顔しか覚えていない、こずかいもよくもらった、だからと、喪主の息子の嫁さんに許しをこい、3歳6歳の孫たちに千円づつ握らせた。おじさんがしたように、帰りたいと腕の中で泣く超多動症で大変なガキだ、これって、まるで子供のころの俺。
「帰りたい?、ホレ、ゲロゲロ」とカエルのように体をさすった事2回、輪廻の祝福が舞い降りたの。「仲間に入れてください、親族付き合いをしたかったんです」と息子の思いも聞き、従弟たちにささやいた。以前大腸がんと子宮がんを経て、乳がんが見つかったのはひと月前、さて、抗がん剤治療を始めましょうの夜、急変し亡くなったそうだ。
おかんに棺桶の蓋が被さる前に、息子と婆ちゃんは数分は顔をなでていた。息子は泣いていた。

二日目は俺一人だけだったので、報告などのまさに連絡していた夜、「明日は何時におむかえー?」「ナニ?」「エコー電気の奥さんが、同じ光明院で」。赤城神社の隣りにあるこの寺との付き合いはとても古い。小柄で常に柔和で、地道に仏の道を歩いている推橋さんが大好きだった。よく印刷機も使わせてもらい、ストーブの焚きつけにと、トウバもらっていた。凄い関係だったたなぁーなどと想い馳せるのが楽しい。エコー電気の大河原さんは平和台のナイスガイで大好き、弟は同級生、70の嫁さんはひと月前に脳のガンが分かり、急変したらしい。
全員マスクの葬式は顔がわかりにくく、皆、だれだろー?と必死で目が動きまくって、その気持ちが伝わってくる。なんじゃこら?

帰 農 人 2020  6/22 東京に新たな親族が

「移動制限解除」の翌日の土曜日、俺とマサを乗せてクルミが運転し、吉祥寺のイタリアンレストランを目指した。
BGMはクルのお気に入りの曲が、ジャズである。最近の、とても良い曲ばかりだ、凄い心の成長を感じた。マサは「ドライブみたい」と黄色い声、幸い本当に珍しく高速上の表示には渋滞情報はなく、
まだ「自粛体制中」なんだと思いながらスイスイ走っていたら、出口付近でちょっとした渋滞ができ、クルも「あぶねぇ」と上手くブレーキをかけられた、そのすぐ前では6台のきれいな玉突き事故が発生していた。
ともあれ、井之頭公園の先の駐車場を見つけ、早歩きで公園内をナビを片手のクルが「あっち」と先導、公園内は30代中心の家族とかが目いっぱい散策を堪能していた。誰もが喜びに満ちているのが解る
駅近くの公園入口付近にある、嫁とその家族が待つ店付近は初詣のような人混み、入店時額の体温を測られた以外は、以前と変わらぬ密の世界、勿論マスクなし、窓は開け放されているくらい。
繁盛していた、満席で何度も断っていた。
もう気持ちの上では「もう、出るぜ 会うぜ 買うぜ」の気持ち満々の都民のエネルギーを感じた、 密集した家々の中をカーナビのお遊びで、走らされたおかげで、東京の人たちの暮らし悲哀を垣間見れた。
この前の安部さんの会見の時「人口の拡散は重要」と発言した、「言ったな、このヤロー、少しは道のこせ」・ある意味ですごーく期待している、今現在、地方が疲弊するのを、ただ見過ごすことを是として国政が続いた中で重要な発言である、常に「東京の人口を半分にし農地などに帰る事が望ましいと常に心にある。
どんな事をしても良いから、密集都市から地方への拡散を国策レベルまで声を高めないといけない歴史のひとときだと思う
俺 最近 コロナに 感謝している。

おもしれー家族だった、まだその新しき親族との出会いの興奮が冷めない
ここ数日、その酔っ払い感が覚めない、「イザナさんを必ず幸せにします」と、別れ際に、10下のサラサちゃんが宣言してくれた。このうえをもない最高のカップルのスタートだ。しばらく酒がおいしいな。

帰 農 人 2020  6/14  かあちゃんが 髪留めゴムを買ってきてくれた

帰 農 人 2020  6/14 
  かあちゃん
      髪留めゴムを買ってきてくれた

「今度の土曜日までに、髪と髭を整えよ」と、娘からの指令に大変悩んでいる。
イザナの嫁さんの親御さん達との「挨拶の義」、それなりにピシッとしてゆこうとは思っている程度、どうせバレるのだから、いつもの心でいつもの姿で礼をもって、開きあって、縁の神様に祝福を、共に捧げられたら、なんて感じで会えたらと数度思い描いている。
楽しみなのだ、物すごーく愉快な話しなのだ。ワクワクしている
ともかく準備をしなくてはと、昨日の大雨で野良仕事ができなかったので代わりに作業場やドブロクの醸造桶などをきれいに片づけた。身の回りお片付け週間と決め、日に数分とパタパタ掃除やる時間を過ごすうちに、なんか「整いました」となるでしょう。部屋での仕事の時は、レコードなどを大きな音で流しながら、けっこう素敵な時間だ、酒もうまく飲める。さて、どうすんべ、
数週間前から髪を後ろで輪ゴムで縛っている、首筋の皮膚が弱ってきていたからだ。これによって髪の全体は後ろに引き寄せられ、なんかピシッときてよろし、と最近気に入ってる。
髪が長い時は腰まで伸びていたものの、輪ゴムをするだけで若き頃の自分のエネルギーと触れ合うことが出来る。ちょっと振り返ってみれ と言う事かも。
さてさて、髪は切りたくないわ、髭を鏡で眺めても、整えようが見つからない、そりゃあ、口まわりとか余計なヒゲなどは整えるくらいだなと考えるが、「どう思う?」と相談しようと店に電話したら、くるみは遊びに出かけたとのことで、うざい電話はかけられない、
イザナに相談することは面白そうだが、直に会う事を楽しもうと、これも電話できない、あとはマサに聞くしかない
数日前、髪を結ぶリングを買ってきてくれた、外す時髪が抜けないのがいい。ありがたかった、何とかなるべ

フランスの警察官たちの抗議行動はかっこよかった。「首を絞める事は禁止し、行き過ぎた警官の人種差別は処罰する」と警視総監から命じられたが、「絞める」という技は柔道では基本であり、それらの技は現場では必要なんだ、無しでは手錠もかけられないよと、警察官らが手錠を路上に投げ捨て、抗議デモをした。
すぐに現場を知らず判断したと警視総監は認め、首絞め技の禁止を撤回し謝った。素晴らしい対話である。EUでの抗議、反抗スタイルはかっこよく超進化している、目が離せない。

帰 農 人 2020  6/07 5年の思いが不意に  これも神の計らいか フーン

帰 農 人 2020  6/07
  5年の思いが不意に  これも神の計らいかっ フーン

久々に急な警察からの電話。以前はよくお世話になったガキどもだが今は非常に大人しい。
なんだろう?とほくそ笑みながら聞くと、貝人くんの紛失していた自転車が見つかったから署まで取りにきて、との事。都心にいる貝人に電話しても繋がらないとウチにかかってきた。
貝人にすぐに電話し、我孫子署と連絡を取ってもらい、12時に署の玄関でとの約束になった。
午前の野良仕事を素早く片付け昼飯を作り、何とか間に合いそうだと、急いで利根川て手前の我孫子署に軽トラを走らせた。少し迷ったが左手前に署を発見!そしたら入口の横の手押し信号の信号が「赤」になったが、約束の時間から2分ほど遅れているので、これは誰もいないし良いのではと魔がさして1m先の入口に入っていったら、すぐ後に入ってきたパトカーに「信号無視」の切符を切られた。
9千円…ダダもけっこうこねた。
「コロナで免許の書き換えができないんだよ、やっとゴールドに戻れると毎日楽しみに待っていたの!俺明日からシートベルトなんかいい加減になっちゃうよ~ましてや待ってくれてるお巡りさんに迷惑をかけちゃいけないと思って、これくらいは大丈夫と判断したんだよ~」等々。でも「大変なのわかるけど、ここは署の駐車場だし見逃したら俺たちが確実に罰せられる。なんなら俺たちもゴールドじゃないよ…」ごもっともな話だ。仕方がない。でも捕まりに行ったみたいでとても馬鹿らしくて、今日一日ムカついていたが、俺が「ゴールド」という権威を欲しがる心に良き罰を与えてくれたのではと思いつき、やっとムカムカがおりた。 みんな神様のプレゼント。

昨日は「祝福の女神」が来た、さっちゃんだ。昨年から9か月間、アイルランド、オランダ、イタリア、スペイン、フランス島で福祉や介護の状況を学びに行き、良い情報をいっぱい仕入れてきた。「いっぱい話したいことがあるの」との電話があり、一日一緒に田んぼで「まざし」補植作業をした、彼女はその作業が初体験で充分堪能している。 
聞いた話のびっくり二つは「オランダでは9割以上が自宅出産」と「イタリアは精神病院を廃止し地域の人達で面倒を観ている」で、帰ってきてからは現在、横浜で福祉の「ファンド」を起ち上げたりと上級のプロになった。夜遅くまでマサと三人で話すうちに、世の中に耳を深くかざしているうちの娘たちにぜひ会わせたな!との話しが進み、翌日会えたようだ。すぐに来月からの勉強会を企画したらしい、OKです。

帰 農 人 2020  6/01 自然も厄介、人も厄介、でも大好き

ディスクトップのアイコンが幾つも増えた。
「持続化給付金」手続きの為に写した免許書や帳簿の写真だ。なんか心が卑しくなるから早くこれらのアイコンを消したい。
確かにイベントや給食、レストラン関係の収入はわずか、でも直売所は大繁盛、無人直売所も頑張ってくれた、おかげで廃棄した野菜はほぼ無く安値でも捌ききれた。
おかげで収支は悪いが、これくらいで済んで少しでも多くの人が野菜たちで喜んでもらえたらと思えていたので給付金はいらないやと考えていたが、先日の安部さんの解除会見を聞いて申請しようと決した、理由は忘れた。
2時間で申請書類作り、即座にマイナンバーカードで申請し。翌日、ボブと公朗に給付金の状況を聞いたら、シタールの公朗は友人の手引きで申請しすぐに87万円の給付を受けていた。
お役所と一番遠い世界に暮らす仲間ならではのアドバイスをボブに伝えると、ちょっと仲違いしている二人を繋げられた。
その後ボブも南アルプス赤石岳の中腹にある大鹿村から崖沿いの道をおり伊那谷に出て飯田の商工会会館(神聖相談会場)まで片道1時間半走り、ボブの歌も聴いているらしい大鹿のスタッフが親切に対応してくれ、気持ちよく申請を終えたそうだ。いくらかは必ずもらえるようだ、良かった。持続化給付金は2人のいかしたミュージシャン家族を救ったのは確かだ、感謝する。
でも1千万人の秋まで支給する予算を建てた英国は信頼と本当の経済力の力の違いを痛感する。利権まみれはいかんのだ。

有機農業では春、夏、秋は虫や病気に3割以上がやられる、博打みたいだ。
でも何とか「楽な手はないか」と日々脳味噌をかき回している。ビーツの発芽は色々と難しい!工夫して立派な発芽を確信したあとに芽が驚速に消えていった、地中の芋虫たちだ。ホウレンソウも同じだ、でも隣りの小松菜やカブはやられていない。やつ等にも好き嫌いがあるのだ、それを解った事がとても嬉しい
明日違う畑に種を播いてみよう。種は予備も用意してある。さてどうなるのかな
野菜たちとの付き合いは面白くキリがない、人はもっと厄介。

帰 農 人 2020  5/24 神様は もてあそぶ

先週の寒の戻りは嬉しいかった。朝晩ストーブに薪をくめ、穏やかなぬくもりを楽しめたのはありがたかった、久々の朝10℃、三陸沖の高気圧から来る「ヤマセ」を思い出す。夏が来ると宮沢健二は泣いたんだ。俺も岩手の事ならいくらか知っている。19才の時一年間、岩手山で一年間リフトの仕事をしていたので、山地多き岩手の辛さと真面目な人たちの事をいくらか、知っている。
月に数度の休日に借りたバイクで盛岡まで遊びに行く。小岩井牧場を通り抜けて40分ほどで盛岡市内に着いたらパチンコ屋に本屋に喫茶店、名画劇場、超大物のジャズコンサート、バッティングセンターの後は冷麺。さんさ踊りの祭りの晩は先輩二人に連れられて「ハワイ」だったかな?全国チェーンの風俗店に行ったのをよく覚えてる。衝立の高いソファーでネグリジェの姉ちゃんと飲みながら話しただけだった。先輩たちは見たの、触ったのとと楽しそうだった、そういう所なら何故前もって話してくれなかったのかと、悔しかったが、でも入店料奢ってもらったんだし文句は言えないとすねた記憶だ。   でも最高に楽しかった一つは盛岡からの夜の帰り道のこと。森林をうねうね走り回ると、よくタヌキやキツネと出くわす。段々やつらの性格もわかってくる。キツネは利口でタヌキは馬鹿だ、逃げ方でわかる。生き物はいいな。

もう十日も田んぼの中に故障したトラクターがある。セルモーターの故障だ。奥の方にあるので、様々な部品を取り外すという高度な作業を水の張った田んぼの真ん中で作業するのだから中々進まない、田植え作業が優先だ。先日田植えの合間にやっと取り出せたので、「伊藤電気」の親父さんの所へ持っていくと、翌日「ちゃんと動いているよ」との報告。ドブロクやスナップエンドーたちをお礼に渡し、その後トラクターに取り付けるとやっぱりダメ、またもや持っていくと、親父さんの孫の車椅子の兄ちゃんがいた。「爺ちゃんどこかな」と聞くが話すのは難しいようだった。動かない旨を話し帰りがけに兄ちゃんに挨拶をしてたら、親父さんは兄ちゃんの病状を教えてくれた。脳性麻痺だそう。親父さんは僕の大好きな尊敬する職人の一人である。この人に会わせるために故障してくれたのかな。