百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

農 人 2020  8/03 面白いほど壊れていく、でも核融合はまずい

農 人 2020  8/03         
    面白いほど壊れていく、でも核融合はまずい

 破壊の神「シバ」は俺の上で踊っている。踊りまくっている。
最初に壊れたファックスと同時に大活躍中の「草刈りモア」が。土揚げの管理機も。テレビも突然に…!テレビはカードの抜き差しで解決したが、一連の極めつけは堆肥を運ぶ為にJAから借りたダンプをこすってしまった事だ。人の車を傷つけたのは初めてだし、絶対にぶつけるのはイヤだったのできわめて慎重に操作していた。堆肥場は滑りやすいので、トラクターでの牽引は何時もの事と、一人で両方を操作するのだが、引張り上がったらすぐにトラクターを止めに走る、その時ダンプが迫ってきた。ドライブモードのままだった、前から押してもダメ、窓からすぐに止めたが、間に合わなかった。本当は最低2人でやる作業だが、余裕のない日常の中仕方のない軽業である、やっぱり事故は起こる。 
貧乏で時間がないと、けっこう考えてとんでもない工夫を思いつく、それが知恵だ、百姓生活まるで知恵の輪、いつも考えている、絶望の淵で常で、今どうするべきか考え始める、嘆いても、悔やんでも時間がもいったいない、一年後に生かせばいいのだ。 

今朝 草にうずもれたネギ畑の草刈りにマコトは参っていた、この草刈り機も壊れた。
でも、福の神も登場する、電気屋のジャワが保冷庫の漏電を点検に来てくれた。保冷庫の内側のドアノブで、2,3度ビリりと感じたので先日電話していたのだ。
本当に細やかに完璧な作業をしてくれた、代金は野菜とドブロク、我が良き友よ、感謝である。
だが、一連の連鎖はいまだ止まらず、今日とて、機械が壊れて部品も見つからないとのこと。いつまで続くのか。
痛んだ玉ねぎもどんどん腐る、毎日痛んだ外側を向き、洗い袋に詰める、いつもなら捨てていた小さなじゃが芋も選別し並べる、今年はじゃが芋玉ねぎが高値なので売れる、じゃがいも玉ねぎには罪はない、いつも捨てられる命が役に立つことがありがたく、夜仕事は続く。

おしゃれなフランス人のファッション感覚がコロナで変わったそうだ、みんなラフな服装になったという。
あの濃厚なこだわり文化はどう変化していくのだろう、ただ気になるのが同じ仏で核融合炉の建設が再開されたことだ、地球上に太陽を作る計画だ、凄い壊滅的な破壊の匂いがする。

帰 農 人 2020  7/26  コロナは 破壊の神シバのしもべ?

帰 農 人 2020  7/26 
 コロナは 破壊の神シバのしもべ?

オンボロ借家の我が家には網戸がない。
でも暑くなると、昼も夜も全ての戸をあけ放つ、そして蚊取り線香(モチロン、殺虫剤が入っていない除虫菊の物 )を使っているが、それでも長く煙っていると喉に悪い。寝る時は蚊帳をする。心を鎮める波動を出す麻の繊維に抱かれるのも良い。

3日前から線香をつけ始めた、ようやく夏が来た。まだびしょびしょに汗をかいてはいない、だからお風呂はたまにでいい、汗かいたら毎日入るけどね。
風呂は幼児の頃から好きではなかった、ともかく遊んでいたかった。堪りかねた母の八重子は包丁をふりあげ、俺はテーブルの下に逃げ込み、椅子の足をおさえ刺されない様にした、ともかく言うこと聞かぬ子で何度も長流寺で「かんの虫」に効くお灸をやられた。
開園したての「このはな幼稚園」に行くのを拒み、身にヒモを付けられ自転車の母に引っ張られたことも忘れられない、気丈な母であった。
父とのケンカも日常、俺がお腹にいる時にぶん投げられて心配だったと最近イトコの姉さんから聞いた。
八木小町の娘にホレて頑張って嫁にした親父が悪いが、でも晩年はその時を流さるくらいの献身を捧げた姿は立派であった。 
どうも夏は霊が近づいてくる、夏の一番すきなところだ、お盆だ
祭りだなどと気にしていると、様々な「えにし」が体を取り巻く熱風と共にまとわりついてくる、霊感は全くない、でも経験から確信している、お盆という行事はエライ。
そしてオラたちのやることは、草だらけの田畑や道をきれいにし霊たちを迎える準備だ、そろそろ雨も止むだろう、大草刈りの始まりはじまり
これは雲がどけたらとても酷な修行になる、早く掛からねば。
 きのうFAXが壊れた、すぐに電気屋に行っが、業務用のFAXはコロナの影響で在庫がない、予約したが2か月後位とのこと、何かの時にと棚の上に会った15年前のFAXを接続、動いたが、やはり色々壊れている、ドリルと針金とガムテープで修繕、15年前にはできなかった技だ。電話帳をいじると懐かしい名が次々と出てくる、これも神さんの仕業やな、破壊も立派な仕事や、インドの大神のシバは破壊の舞いがシンボルだ、俺わからないのだ、なんで。

帰 農 人 2020  7/19 マスクを付ければ銃も亡くなる

帰 農 人 2020  7/19         
    マスクを付ければ銃も亡くなる

 ようやく長雨が切れ、肌寒さも無くなった。静かだった虫たちも何とか泣き始めた、じっと我慢していたんだろうね、まったく蝶も蜂も飛び交う様子を見ない不思議な7月だったが数日後には本格的な夏が始まるのだろう、慣れない体にはキツイのは間違いなし、夕べは顔の周りの蚊の音に初めて悩まされた、今夜から蚊帳をかけよう。 
 ここ1週間野菜の生育は低温でずいぶん鈍った、直売所でも野菜が少なく困っている。
この様な時、多品種を扱う我が農園は有利だ、頑張って売るべ。

 「米農家になる人いないかな、凄く良い条件がそろったよ」といすみ大原の手塚さんからの電話、彼の長年の功績でいすみ市の小中学校の給食の米は有機米を使っている。市民の反応もよく、家族での移住が増えているようだ。
国の新規就農者への補助に加え市も厚く応援する体制をとった、8年間は研修も含めて年間250万円の所得補償と住居や機械などの面倒も見てくれ、米は全て買い取るいう高条件で、また手塚さんらは有機八百屋を開設する手はずも整えた。
30坪くらいの店舗の隣には古民家もあり、遊ぶ気満々、店の名前は「いすみ屋」と決め、真澄屋の兄弟店として「澄」を使うことは決まったが、「い」をどうするか相談中だそうだ、南房総には自然食品店がない。ネットや生協では伊地域が育たない、いい決断をしてくれた
南房総には多くの面白い移住者たちがいて、よりどころができれば面白い事になるだろう。米農家になる人の募集期間は8月いっぱい。
興味のある方は紹介します、まずは遊びに行ってください、いすみ市で手塚さんやイザナが生まれたころ真澄屋のスタッフだった妻のヒロコの二人が迎えてくれます。いい話しです。

 米国人のマスクへの拒否反応は「強さを見せる為」だそうだ。ニワトリやヤギのオスなどと同じじゃないか。常に「おれの方が強いぞ」と鳴きあい、血みどろの戦いを常にする、まあ、本質的な本能でもある、月に行くのも原子力空母も同じ感覚だろう
でも先日、黒人奴隷を肯定した南部軍の旗を公共の施設に掲げる事を禁止した、トランプもマスクをつけた、後は銃だ。

帰 農 人 2020  7/15 首都圏などは我慢せよ、地方を汚すな

今年は初めて親子3世代のアオダイショウと遭遇、自宅まわりである。
最初は3m近いヌシ、つぎは50㎝位の子ども、今日はその間、ともかくみんな生き続けてほしい、ここ数年聞こえないフクロウさんは元気にしているだろうか?
また夏の夜が始まった頃、7時半くらいから「ほー、ほほっー」と暫く聞こえる、毎晩だ、とても贅沢な時だった。今はウグイスとコジュケイが元気だ。

カラ梅雨は熱くて大嫌いだが、こう雨が続くのも困る。じゃが芋が中々掘れなかった、仕方なく雨中収穫したがドロドロで洗うしかなかったが、洗うと腐れが多くなる、やはりダメだった
栄養の塊のじゃが芋は傷と水分があればすぐに菌たちは食い荒す、まる一日経たないうちに傷からガスが湧きだす、パンなどの酵母などと同じ速さだ、でも酵母は発酵、腐れていくのは腐敗という、共に物質を分解し、多くの命が湧きだすガソリン、命の循環には欠かせない菌たちだ。
どちらもエライ。でもむざむざ腐らせたくはないので雨の合間に懸命に掘り出した、つぎは草だらけの畑の整備、これも雨の中では進まない。
でも毎日やれることを捜し、研修生のひかるちゃんは泥だらけ、毎日カッパを着用、文句も言わず頑張っている。本当は3月に仕事を止めて、オーストラリアに農業のワーキングホリデーに行く予定だったが、コロナで中止、宙ぶらりん、どうなるのだろうね、
娘のような年頃の子が毎晩そばにいると、ついいっぱいしゃべってしまう。楽しいがデスクワークはどんどん遅れる、仕方がないよね。

GOTOキャンペーンが始まる、関東、名古屋、大阪などの人口密集地域は禁止して、感染の少ない地域間で有効に使うのがいいよ、なんでできないのかね。
夜の街の人も期間的生活保護を与えて、店の経費なども払えばいいのに、中国との戦闘の為にF35を130機も買ってる場合じゃないだろ、ニューヨークではまだ店内の飲食は禁止されている、しっかり情報を出して、国民に納得してもらい、しっかり予防するしかないのに中途半端すぎる、マスコミもだらだら文句ばかり言ってないで策を精査すればいいのでは、何を遠慮してるんだ。

帰 農 人 2020  7/04  ゴキブリが美しかった

帰 農 人 2020  7/04         
    ゴキブリが美しかった

 今日は娘二人と会津の山に登って那須のルミちゃんの家を訪ねる予定だったが雨で中止、昨年もダメだった、秋にまた計画を。9月22日が第二子の誕生予定なので、その後かな。
昼飯中テレビを見てたら「三ッ峠」と登山が、高校生の頃夜行で岩登りの練習に行った。「大根おろしフェース」という難度の高い壁に一人で挑んでいたがまるっきり登れない、一人だが勿論ザイルを確保していたが、困っていたが若いクライマーの二人がサポートしてくれた。お礼に缶詰の具を入れた特製ラーメンを振舞い喜んでもらえたことなどを思いだした。
 こんなに雨量の多い梅雨は初めてだ、ここひと月田んぼの水は常にある、見回りの時間が大幅に少なくなりありがたい。
でも一部草が多く生えているとこが数か所、畑の仕事を進めて草刈りをしたいが、できるかな? 
月曜日から法律事務所を辞めて農家を目指す女性が2週間泊まり込みの研修に来る、彼女の仕事は草取りだ、頑張ってもらおう、体力的適正も確かめたいとのこと、頑張ってもらおう。
先日スタッフマコトの友達がいきなり「手伝わせてください」と畑に来た。困った、彼がどのような思いで来たのかも知らないし、どのように暮らしているのかもわからないのでコロナ感染の心配もあるし、でも良さそうなやつだし、でも午前の収穫で忙しい時間だったので、仕事を手伝ってもらうサポートができない、慣れない人に作業してもらうと、作物とわからず踏んづけられたり抜かれたり、収穫の選別がダメで後で時間がかかったり、関係や出会いを踏みにじることもままある、思い切って断った。
5月に新宿の古い友達から同居する息子が農作業したいと連絡が来た、これははっきりヤバいと思い断った、「何とか東京から抜け出し潜り込めると思ったのに」との息子の言葉に判断は正しいと思った。

 多雨のせいだろうか、虫が少ない、蚊やハエも少ない、カメムシもアブラムシも少ない、でも数日前、ゴキブリが異常に元気な日があった、明け放れた家の中を10匹近くが這い回り飛び回っていた、きれいで美しかった。

帰 農 人 2020  7/04 ゴキブリが美しかった

今日は娘二人と会津の山に登って那須のルミちゃんの家を訪ねる予定だったが雨で中止、昨年もダメだった、秋にまた計画を。9月22日が第二子の誕生予定なので、その後かな。

昼飯中テレビを見てたら「三ッ峠」が映っていた。高校生の頃夜行で岩登りの練習に行った記憶がある。「大根おろしフェース」という難度の高い壁に一人で挑んでいたがまるっきり登れず、勿論ザイルは確保していたが、どうしようかと困っていたところ通りかかりの若いクライマーの二人がサポートしてくれた。お礼に缶詰の具を入れた特製ラーメンを振舞い喜んでもらえたことなどを思い出した。

こんなに雨量の多い梅雨は初めてだ、ここひと月田んぼの水は常にある、見回りの時間が大幅に少なくなりありがたい。
でも一部草が多く生えている所が数か所。畑の仕事を進めて草刈りをしたいが、できるかな? 
月曜日から法律事務所を辞めて農家を目指す女性が2週間泊まり込みの研修に来る、彼女の仕事は草取りだ、頑張ってもらおう、体力的適正も確かめたいとのこと、頑張ってもらおう!

先日スタッフ、マコトの都市部に住む友達がいきなり「手伝わせてください」と畑に来た。困ってしまった。彼がどのような思いで来たのかも知らないし、どのように暮らしているのかもわからないのでコロナ感染の心配もあるし、でも良さそうなやつだし、でも午前の収穫で忙しい時間だったので、仕事を手伝ってもらうためのサポートができない。
慣れない人に作業してもらうと、作物とわからず踏んづけられたり抜かれたり、収穫の選別がダメで後で時間がかかったり、関係や出会いを踏みにじることもままある、思い切って断った。
5月に新宿の古い友達から同居する息子が農作業したいと言ってると連絡が来た、これははっきりヤバいと思い断った。「何とか東京から抜け出し潜り込めると思ったのに」との息子の言葉に判断は正しいと思った。

 多雨のせいだろうか、虫が少ない、蚊やハエも少ない、カメムシもアブラムシも少ない、でも数日前、ゴキブリが異常に元気な日があった
明け放れた家の中を10匹近くが這い回り飛び回っていた、きれいで美しかった。

帰 農 人 2020  6/29 マスクは人を役者にするね

吉祥寺での祝い事に、その後数日、酔っ払ってる感覚が抜けず、もろマヌケ状態の中。
火曜日、「いとこのT子ちゃんが亡くなったんだってよ」本家の布団屋のカズオちゃんからの電話、90の叔母さん3人は頑張っている、みんなまだまだ行けそうだ、うちのおふくろを最後に、十数年、父方の葬儀はなかった。
従妹は13人いるが初めて、なんか不思議な感覚を覚えたが、ともかくまずは「いくらもってけば?焼き場は?」「なんせイトコは初めてなんだから、姉ちゃんと相談して連絡する」
T子ちゃん66才、娘二人の長女、6人兄弟の5,6番目のノブさんと越智のオヤジ、2人は仲良く、いつも背中を登ってくる幼児の俺に良く付き合ってくれた、笑顔しか覚えていない、こずかいもよくもらった、だからと、喪主の息子の嫁さんに許しをこい、3歳6歳の孫たちに千円づつ握らせた。おじさんがしたように、帰りたいと腕の中で泣く超多動症で大変なガキだ、これって、まるで子供のころの俺。
「帰りたい?、ホレ、ゲロゲロ」とカエルのように体をさすった事2回、輪廻の祝福が舞い降りたの。「仲間に入れてください、親族付き合いをしたかったんです」と息子の思いも聞き、従弟たちにささやいた。以前大腸がんと子宮がんを経て、乳がんが見つかったのはひと月前、さて、抗がん剤治療を始めましょうの夜、急変し亡くなったそうだ。
おかんに棺桶の蓋が被さる前に、息子と婆ちゃんは数分は顔をなでていた。息子は泣いていた。

二日目は俺一人だけだったので、報告などのまさに連絡していた夜、「明日は何時におむかえー?」「ナニ?」「エコー電気の奥さんが、同じ光明院で」。赤城神社の隣りにあるこの寺との付き合いはとても古い。小柄で常に柔和で、地道に仏の道を歩いている推橋さんが大好きだった。よく印刷機も使わせてもらい、ストーブの焚きつけにと、トウバもらっていた。凄い関係だったたなぁーなどと想い馳せるのが楽しい。エコー電気の大河原さんは平和台のナイスガイで大好き、弟は同級生、70の嫁さんはひと月前に脳のガンが分かり、急変したらしい。
全員マスクの葬式は顔がわかりにくく、皆、だれだろー?と必死で目が動きまくって、その気持ちが伝わってくる。なんじゃこら?