百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2021  2/28 久々に面白い選挙だ、知事も衆議院も

帰 農 人 2021  2/28
    久々に面白い選挙だ、知事も衆議院

 この冬は薪ドロボーされたこともあり薪が足りなそうで不安だった。が、12月頃より畑のそばのゴミ箱に可燃ごみの日に庭木の剪定枝が丁度良い長さに切られ紐で縛られ毎回出されるようになったので、それをせっせともらい続けたらけっこうな量になった。生木なので干して、切り口に割れを見つけたら使用していたが、切ったばかりの生木でも燃えやすいで強い火を起こした中に入れると、切り口からジュウジュウ水を出しながら燃えていく、燃やし方がわかった。山林火災は生木が燃えていく、実に不思議だったが納得。生木は一度燃えると強力な熱さを放つ。
 昨日は味噌の仕込み会。60㎏の大豆を煮るのには薪は大量に消費するがしかし、ゴミ捨て場の薪で見事に仕上がった。薪割りの助っ人も来たので、最後に残った大物を大量に割ってもらい、いっぺんに在庫が増えた。仕込みに来た家族の子供たちも薪割りや火遊びを楽しんでいた。 コタツの中の孵化中の卵にびっくりし、旦那たちはドブロクを樽の中からすくい、「最高にフレッシュ」と目を見開いていた。この会は用意が大変だが、いつも面白い。

今日昼に元市議の日下部さんと真澄屋で会った。3年前に百二歳で亡くなった日下部婆ちゃんも元気な時は味噌仕込み会に来てたっけ。
そんな日下部さんには連れがいた。次の衆議院選で立憲民主から立候補する竹内千春さんだ。友人の小山さんがチラシ撒きをしているらしく、うちの郵便箱に入っていた竹内さんのチラシにも「あっち、今度会ってくれ」と手書きメモがあったので、会わなければと思っていた矢先のことである。きれいで聡明そうな方だった。英語が堪能な国際感覚がある弁護士さんだそう。対決する自民の斉藤健は強敵だ、才能あるやり手で男前大臣もこなしている、でもひっくり返ったら凄い。次回に備えてもいいのだ、事務所は毎日通る初石駅近く、できる事から始めよう。まずは多くの家や店にポスターを張りチラシ配り、集会はコロナで中々難しいだろうがやるしかないよね、まずは選挙会議に参加してみようと決めた。面白くなってきたぞ、田畑もこれから忙しいけどね。

帰 農 人 2021  2/22 そろそろヒナ人形を出そうかな

帰 農 人 2021  2/22
    そろそろヒナ人形を出そうかな

 昨年暮れから鳥インフルエンザ情報が毎週のように県から届く。10数羽であるがヤギと鶏の届け出は出している。くわしい様々な情報と要請が書かれている。世界で避難されているゲージ飼いは鶏の身も心も弱くする、病原菌に弱い、「アニマルウエルネス/健全に肥育」に沿い平飼いにすると卵は今の2,3倍の価格になる、でもそれが本当の価格なんだ。
30年うちの鶏に病気は出ない。いつも生まれたばかりのヒヨコを買うが、最近は宅配便で受け取る事が出来なくなった。たかが30羽に半日かけて東金まで行くのは負担である、そこで自宅で孵化させようと実験を始めた。うちのコタツは豆炭、朝晩に4,5個の豆炭を入れてるので常に暖かい。ここに入れておけばいいんでは?
多すぎるオスは若鳥として食べてしまえばいいのだ。毎朝とれた卵をコタツに入れる、30個を越した40羽はほしい、そして最初の卵を入れてから21日めは3月5日、うまくいけば11日先にはコタツの中からぴよぴよ聞こえるかも。エコーがあれば胎児みたいに見えるのにね、最初の卵を駒の様に回してみた、生卵より上手く回る、育っているかも、ウヒ。

 この土日に研修に来た35の女性は3人の子持ち、有機農業の世界で働きたいと強い思いがある、旦那が休みの週末にチビ3匹を頼んで農園に来る。話を聞けば旦那は青森の八戸(はちのへ)の酪農の家に育ったそうだ、また八戸だ。以前研修に来たマッキ―が「ゆめハァーム」をやっていて、夏に研修に来たジャパネットとNHKの夫妻は実家の近くで帰農しマッキ―と仲良くやり始めたみたい。3人目の「八戸」はこれも神様のはからいである気がとても匂う、面白く成ればいいな、こんな「縁」をじっくり育てればいいんだよね。
 オオタカは恋人同志で仲良く飛んでいる、バッケ(ふきのとう)も、もこもこ出てきた、春は突然全速力走り出した。
野菜の作付に焦るが、我慢、まだぶり返しはある。

帰 農 人 2021  2/14  東京コロナの旅

帰 農 人 2021  2/14
 東京コロナの旅

 葛飾区の博物館での「味噌仕込み講習会」は昨日行われた。ただ感染防止の為、会場で瓶に仕込むことはだめで、俺が実演してみせることとなった。
また参加者も減らし、みんな大きな机に一人でぽつんと座っている。
いつも大きな声で話しながらみんなの中を回っていたが、今回は一人教卓台の前でピンマイクにフェイスガードをして講義スタイル。
煮た大豆を塩、糀と混ぜ大きなビニール袋に入れて拳で潰していたが、時間がかかり間が持てないので、学芸員を呼び、2人でやってもらったら、隣り合わせで危ないということで、足で踏みつぶすことにした。テーブルの上で踏みつぶしながら、色々話した。この方法にはみんな驚き関心を集めた。何人かに少しづつやらせて、3回仕込んだ。最後は餅つき機での実演。
「みんな適当に見える位置にきて」と呼びかけた。主催者からもOKももらっていた。瓶に仕込む時の秘伝を享受、充分に納得して参加者らは材料を持ち帰っていったのでよかった。
他の講座はことごとく中止の中、学芸員の小峰女史は頑張って開催させてくれた。会場に向かう車中でもとても不安だったが、「みんながこんなに喜んでくれる講座はそうない」とご褒美の言葉ももらえた。が、さすがに疲れた。
持参したドブロクを試飲させたら、3人の女性は1年物と2年物を何杯も真剣な顔で飲み比べていた。一人は顔を赤らめていた、「度数強いから注意したのに」「だいじょうぶすぐ顔に出るの」と舌をペロリ、ドブロクは個人でも製造は禁止されている、公の会ではご法度なのに、小峰ちゃんは「これは重要な日本の文化です」とこれも許可する太っ腹な学芸員に育った、嬉しい限りだ。

 「アマノ」の漫画は3回目、今回は精神的葛藤を事細かに書いているが細かすぎる、もっと大きな展開にして読者を引きつけたら良いのにと思う、髪の媒体での連載は終わり電子レーベル「ダル花」で続くそうだ、一応番が蚊の日々は続く、伴侶の木野ちゃんも3月から農園に復帰だ、また違った家族像になるのだろうな、楽しみ。

帰 農 人 2021  2/08 仲間の舎利が送られてくる

帰 農 人 2021  2/08
 仲間の舎利が送られてくる

 雪国は大雪やホワイトアウトなどで大変そうだが、こちらの冬は実に穏やかである。雪は積もらず霜柱もない、畑は乾燥気味で底冷えがないので、つま先カイロはいらないし外水道も何回か凍っただけだ。雨も少ないので田んぼの堆肥散布もさぁっーと片付いたし、薪も濡れないので管理が楽だ。 寒太郎も数度だけ、おかげで風通しのよすぎる我が家の暖房用の薪の消費も少ない。
でも3月の大雪や大霜はよくある、準備は大事。

 畑まわりの草がなくなる真冬は、うちのたった一匹になってしまったヤギは江戸川の土手に放牧させてきた。勿論ヒモでつないであるが、先日部落のパトロールの人が「畑から離れたたら危ない!車にも向かって来るし」と怒って苦情を言ってきたという。
ヤギを飼いだして10年位になるが初めて文句を聞いた。この部落は今バブルだ。流通倉庫の開発が進み、1反(3百坪)2千万円で買われていく。どの家も改築したり、高級車を買ったり、仕事もせずにぶらぶらしてるのもけっこういる。百姓で苦労してきた年寄たちも殆ど死に絶えたし、道に土やワラなどがあると「車が汚れる、散歩中に滑ったら危ない」などとの苦情も受けるようになった。 なんか俺たち邪魔者あつかいされ始めたみたいだ、でも心の通じる人たちもいる、状況が変わっただけだ。松戸の「無農薬研究会」の百姓たちは堆肥を散布するとすぐに苦情が来るのでなかなか「有機」は掲げられないと30年前に言ってたけど、いまだになんとか数十軒の農家かが営農を続けてるのだから、おらも我慢だね。

 安曇野美麻村の遊学舎のひとしさんが火葬された。息を引き取ってから4,5日間、「多くの仲間が遺体の前で大宴会を繰り広げていたのでコロナの感染者が出ないか、とても心配だった」と妻の聖子さんから電話があった。多くの懐かしい名前を聞いた。多くの仲間が民族楽器で弔い、穂高養生園の福田さんは聖子さんを抱き上げ「最後に抱き合え」と遺体と絡み合ったそうだ、冷たかったそうだ。
おバカなやつらで大変けっこう、みんなの写真と共に骨も少し送ってくれるという、ちょっとだけ食べて、残りの舎利は祭壇に祀ろう。

帰 農 人 2021  1/31 今夜で1月が終わる よき月であった

帰 農 人 2021  1/31
 今夜で1月が終わる よき月であった

けっこう強い風が吹いた。木材で抑えてあった古トタンが30m先の水場に飛んできた。トンネルもマルチもはがれたりしている所が少し出た。今日来ている研修生の58才、医療器具の現役エキスパートは、さすがである。農園をまわって破損個所の修復を朝申し出てくれた。そしてその仕事後、薪割りをしっかりしてくれた。ありがたい。
「腰は数年に前手術して、本格的農作業はドクターストップと言われている」などと言いながら、どんな作業も懸命に向き合っている、痛々しいが見守るしかない。 
百姓を始めた頃2年間位、両手が凄い手荒れになって困っていた、鶏の足の様に表も裏も深いヒビが無数に走っていた、ステロイドを使っても微塵も効果がなかった、でも小便を毎日飲んだら1週間で綺麗に治ったよ」という話をすると「そんなこと、ただのアンモニアだし、プラシーボ効果なんかなんじゃないの」、と返事で、そのまま掛け合いを続けた。「手を治す為にとは考えってなかった、友達の嫁さんがヤバい乳がんになったので、飲め、俺も飲むからと励ましで飲んだだけ」「前のインドの首相も飲んでたよ、身体の情報系を元気にするらしいよ」「う~ん、ステロイドで治らないのなら、免疫系異常も」、と頭を巡らせている、「気」の世界は知らないのかなぁ、今度はサイババが手から出したイエスの写真でも見せたろか。

四万十で暮らす木工師の洋平から電話「パンフレット作ったから店に置いてください」とのこと。昨年は仕事が少なく、よく3才の息子を連れて魚釣り、オトは魚もさばく、すごく良い保育園なんだけど行きたがらないそうで困っているようだ。遊びの質が違う、親が二人とも感性の世界を素敵に生きている。当然子もはみ出す。 マナちゃんの議員活動は上手く回り始めたらしい、他の議員は彼女を孫の様に可愛がってくれて、80才の尊敬する議員に今年の市長選に出馬をお願いしているが、ダメなら私が出ると言ってるよ」と、幸せな波動が伝わってくる、2人とも夢を目指す日々が伝わってくる。議員になったばかりは泣き虫だったのにね。越えたんだね、でもいいねマナ市長。

帰 農 人 2021  1/24  最後の言葉は パピプペポ

帰 農 人 2021  1/24
    最後の言葉は パピプペポ
 
 20日早朝「遊学舎」のひとしさんが静かに亡くなったと、連れ合いの聖子さんからメールがあった。
病院から、雪深い美麻村の自宅に戻り1週間、「身も心もきれいにして送りだす」という彼女の思い叶ったのだろう。「遊学舎」とは廃校になった学校を1980年に親父さんで有名な版画家の吉田とうしさんが買い上げ、ひとしさんが宿泊施設として運営した場所のことで、木造2階建てが2棟、体育館や広い校庭にプールに給食室もあり、いつぞやのひと夏、マサも調理スタッフをしたこともある。
 陶芸、版画、ガラス細工、草木染など実に様々な文化活動がそこでは繰り広げられ、安曇一帯に多くの人たちが移住したその実績は誠に大きい。
その移住者たちに自然食を販売するために、4年間毎月遊学舎に俺はトラックを走らせた。
移住者は芸術家たちが多い。みんな貧乏である。支払いのツケが溜まり、インディアンティピーや勉強机などの現物支払いやトラックに神様の絵を書いてもらったりと営業的には大赤字であったが多くの友達ができた。
そんな数人の友から、代わる代わる電話があり状況を伝えてくれた、「23日に火葬するって」、「最後の言葉は、パピプペポだって」、「葬儀はわからんが、もう宴会がはじまってるよ」との事が次々に。OK、それでいい。
遊学舎での思い出は俺の宝だ、居間に飾ってある校舎前での販売風景の写真は美しい。 そういえば世田谷区の区長の保坂展人が若い頃10数人を連れて遊学舎で合宿をやっていて、朝、校庭でみんなに喜納昌吉の「花」をうたわせていたっけ。
昌吉さんは遊学舎設立祭りの時歌いに来て、朝みんなで真っ裸でプールで泳いでいたら、スクールバスが通りかかり大騒ぎになったとも聞いた。今現在、遊学舎の校舎は焼けてしまったが、多くの出会い、思い出が、みんなの中に生き続けていると思う。
 
やっと雨が降った。そんなに冷たくねえ雨が、たっぷり畑に沁み込んでいく。極度の乾きとマイナス6℃の2日間で重体状態の野菜たちが、これで生き返る、もう少し早く来てくれれば、菜花などのが壊滅せずに済んだのに。ともかく、この雨はありがてー、ねぇひとしさん、カンパーイだよね

帰 農 人 2021  1/ 10 死に顔を見に行く旅か

帰 農 人 2021  1/ 10
   死に顔を見に行く旅か

 ビックコミックスペリオール」を買ってください。日本中どこでも買えるはずです。その中に「ケッペキゲーマー」が新連載、作者は「あまの」。産休中の「木野ちゃん」の旦那の「天野四郎」のことです。数年の努力がついに実った瞬間です。主人公は病的な精神脅迫症、カウンセラーで来たのは車椅子で指も使えないかわいい女の子、そして彼女はTVゲームのプロでかなり稼いでいる、新鮮で素敵な設定だ。除菌などには執念が入り、困ると、よく聞いている、「あまの」は自分の精神的葛藤と遊びながらこの作品を生み出したかな? この雑誌は第2、4金曜日に発売されています。新人などが多く、絵やコマドリとかまだ完成されておらず、多少荒っぽいですが、けっこう読ましてくれます、力らず良さは新鮮です。 なんか少しわかりました、面白い話しや音楽や芝居などの芸術分野に人が殺到し続けている、古来からの文化力はまさにここに花開いたとも考えていいと。

「ナミさん」こと南正人がおとといの夜、横浜でライブ中に倒れ、息子の胸で旅立った、ヒッピー界の長老のシンガーのあまりにもかっこいい死に様は、ここ数日ヒッピーネットワークではこの「祝電」が飛び交っている

 朝、安曇野の聖子さんから電話が「もうできる事は点滴しかないし、むくみも出てる、死期は近いと宣言されたので、ひとしさんを「遊学舎」のあった美麻村の自宅に運び、心、身体を清くして、飛び立つ準備の為、仲間たちに援助を要請し、また応えてくれたそうだ。祭日明けの12日に福祉タクシーで帰郷させる。今、思いっきり雪が降っている、最悪の状態だが、20代には4年間、毎月、自然食をトラックで長野まで販売に通った。四駆の軽トラにスタッドレスをはかせれば最強、秋田の真冬の峠も走った。
この正月は親族の集まりも、遠出の参拝もなく、出費は大きく減り、お年玉をくれる子供たちも現れた、合計5万円。凄い、遠慮なく雪用タイヤが買えるではないか、後は日程だ。どう組み合わせられるかなぁ、でも無理はしない、さて。