百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

16/1/30 祈りの世界

朝昼の食事前の「いただきます」は心の中で家族や仲間たちの「笑顔」を祈り、特に関係が上手くいかない人や敵対する人の安泰も祈る。
この習慣はもう10数年続いているが形だけの自己満足がほとんどだった気がする。
でもその祈りによって、だいぶ救われているのも実感している
「まったくしょうがねーなぁー」と思っていても、何とか前向きな気持ちが作れる、これはもう俺にとってかけがいの無い宝ものになってきたみたい。
この儀式はチベット密教の修行の1つ、何万回も生まれ変わる中で直接的に困る関係の人はかなり親密な生前の関係を持つという、だまされたり、殺されたりするのも関係が深かった人たちだとされる。
いがみ合ったり、憎みあったりするのも、神様からのプレゼントだ。慈しみの心を育てる為の時を与えてくれる。
中々日々ぼーっとしていてはその心は育ちにくい、だから困難な道、不幸な生い立ちは神様から愛されているとインドのヒンズーの人たちは「ハリジャン」神の子と呼び、乞食たちも障碍者たちも祈りの中に凛と生き続けている。

最近祈りの中に「ISの戦士たちのこころの安泰」も含めている、この前まで「あいつら早く撲滅しなければ」と戦況の変化を願っていたる自分がなんかいやだった
過激派の存在もっともっと根本の悪をあぶりだす効果がある、世界中で「何で?」と考えている。
情報ネットが張り巡らせた今、世界中で「何で?」と様相が裸にされつつある
これから本当の会話が産まれる、