百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 6/30 犬死に

1年に1度だけ大晦日に髪を切りに行くようになって何年になるのだろう。店の3軒隣に気のいい兄ちゃんがやっている床屋に行く。
仲の良い同級生と話している様に、いつも気持ちのいい会話が楽しめる。マサや仲間たちも利用していた
でも先日急に死んでしまった、たぶん肺がんの末期だったのだろう。
数か月前息苦しいからと病院に行ったら、肺に水が溜まってて4ℓも抜いたとマサに話したら、マサが「それ癌じゃね」といったことに「はっきりそんな事言うのお前が初めてだと」笑ってたそうだ、その後抗癌治療で入院したらすぐに。
54才だ、やんちゃな長男も数年前に結婚し、1歳半になる孫をとても可愛がっていたそうだ
葬式には両親がいる、辛そうだ、嫁さんのショックは相当らしい
店は彼女が引き継ぐと周りに言っているそうだが、そうあってほしい。
すぐれた気功師的医者に診てもらったら、タバコではなく、素手で洗髪していた薬害だとの見立て、やつはそれを聞いてどう思ったのだろう、聞いてみたい。
今読んでいる司馬遼の「峠」の主人公、越後の敬之助が「朝に夕に犬死にの覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみ考えるものがえらい」と語った言葉が強く沁みた。
「犬死に」が刺さる、死に意味も意義もない、ミミズの死も人の死も同じ、陽明学の大いなる志であるという。
早すぎる死も「犬死に感」がある、親友のオシメも森もあっさり死んだ、やつらの志は高かった、皆精一杯に生きていた、だから立派に「犬死に」できた。
この言葉をしばらく座右の銘にして日々を生きていきたい、何か見えてくるかな?
昨夜半月ぶりに風呂に入った、髪がサラサラして気持ちが良い。どうも髪の毛がやつの笑顔を誘う。