百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 7/07 なぁーんみょうーほうーれんげーきょーうー

「妻はあと数日の命です」と40年間八百屋仲間として日々付き合ってきた「八百屋 旬」の香取さんから電話があり、すぐに見舞いにいく。
2週間前から床に臥せてはいたが至って元気であり、1時間近く手を握っていたが、その手の握力はしっかりし、この所眠れない日々が続くという割に、元気に話すことが止まらない
すでに遺書も書き、葬儀のお返しには福島の惨状をいつもみんなに思い続けてもらいたいと、仲間が書いた詩と写真の本を250冊取り寄せ、自分の身体は自分でケアすると最後まで医者を拒んでいたが、死亡診断書がないと警察が入ってきて大変と医者探しを家族に命じ、「早くこの身体を楽にさせてあげたいから水と食べ物は控えてるの」と他人事のように明るく話す。オリンピックのバカ騒ぎも見ないで済むのは幸せと、こりゃ困ったものだ
連れたちと「ありゃ、下手すると奇跡が起こるかも、癌やなんかも消え去るかも」と話した翌日、親族等が皆見舞いに来て元気に話し合った夜、さあっと逝きやがった
まことに見事、歴史に名のある武士や僧侶でも珍しい位の死にざま、馬鹿がつくほど真面目な夫婦、付き合いながらも誠に不思議と感じていたが、美鈴さんの枕元にあったお父さんの自叙伝の本があり、渡され読んでいるが作家の歴史小説より面白い。
長女が産まれてすぐに徴用で満州に出兵したあとシベリアでの抑留おあわせて帰国までの7年間の途中まで読み終え、昨日今日と葬儀の受付をして先ほど戻った。
本の中で赤ん坊だった長女と焼き場に行きがらのバスの中隣になり、深く話せてとても不思議であった。
また葬儀を仕切った日本山妙法寺との縁を作った、僕がインドで出会った「ナベさん」ことナバタメ上人がルンビニで仏塔建設の責任者で活動中、給与支払日に強盗に襲われ撃たれて亡くなったのが7月3日、同じ命日。
これにはたまげた、そして骨になった今日は七夕、永六輔さんの命日、不思議な雨の1日。