百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 7/20 地域は瀕死だが まだ生きとる

商工会の平和台支部の総会が7月末と決まり、会員82名などに配る総会資料作成に半日を費やした
製作費として5千円もらえるがインクで2千円かかるので、割りがあわない。
でも数十年ほぼ固定され逃げられない役員10名は それなりに我慢しながらやっている、みんな えらいのだ。

入会したのは真澄屋開店の翌年、大好きなガソリンスタンドのオッチャン(社会党市議でもある)が自宅にきて「入ってくれ」と言われ、「ハイ」と条件反射的に答えた4畳、6畳にボロ家作の玄関での会話は覚えている。
ともかく地域を知らんと、中に入らんとダメじゃ、と、ヒッピースタイルで地域に潜入し始めた。長髪とひげにモンペ姿で学校のPTA、けっこう潜入した
学年長、広報委員、会長選抜隊の責任者なども。街のタヌキたち、小ボスの心も含めた利権構造肌で感じられた、いい勉強の4,5年であった。

商工会も40年前のその頃は、みんな元気で商売もバンバンやっていて行事が多かった、すぐにボーリング大会の責任者になり、もう30年も続けている、おかげで、一年に一度はボーリングへ家族みんなを招待できた。チビども6人はそれなりに毎年楽しんだ、日帰りバス旅行に変わりに長男圭太に行ってもらったことがある。中学校不登校の圭太が飲まされ、ニコニコしながら帰ってきた。いい親父たちであり、ステキな息子だ

今は皆、遺産と利権を食いつぶしながらも、それなりに日々を楽しんでいる。
生魚を置いてない魚屋も、書類で埋め尽くされ続けていく時計屋さんなども、元気に毎日店を開ける。給食や市への納品などは、ありがたいお布施である。
もうギラギラして声の大きい人は少なくなった。
もうみんないつくたばってもおかしくないとあきらめているし、商売も諦めている。
でも ひょっとして世の中の流れが ひょい と変わった時、役に立つ人たちである事間は違いなし。