百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 8/03 弱肉強食が世界の趨勢、その因果はどこに

高1の今頃地方予選を終えた野球部にまとまった休日があり、初めて登山を試みた。
まずは上高地北杜夫が書くウエストン碑の話しをもとに、昔の古道を経て穂高を仰ぎ見たかった。
従妹に二人の登山愛好者がいたので情報や装備などはすぐに揃う。穂高を仰ぎ見る峠の小屋では薪ストーブが炊かれていた。
上高地におり、雑魚寝の安宿にいたら、外で騒いで歌っている声が続いていた。そのうちに、なんと母校の校歌が聞こえてきた、もう卒業した先輩たちであった。
その中に混じっていた伊万里出身の明大の山岳部の人と仲良くなり、西穂高の独標まで連れて行ってもらった。
その後野球部で連休をとれる時は足繁く山に通った。新田次郎の「孤高の人」にいたく感銘を受け、一人で登ることが多かったが、中学で同校の友が山岳会も属し、岩登りなどの装備を持っていたので、共にハマって練習をしたが、谷川岳挑戦し、弾き返され、高3の正月に船橋山岳会の大人二人に混じり北アルプス五竜に挑戦したが天候悪化と俺の体力消耗の為に、山頂を目の前にして引き返してくれた。
中学の時愛した蒸気機関車と高校時代の山はずっとどこかで引きずっている、あこがれの世界。

その山を教えてくれた7つ上の従妹が昨日がんセンターで手術をした。
喉頭がんを切って胃を伸ばして繋ぐという6時間以上かかる大仕事、手術前にひやかしに行った。
小さい時からごく身近に暮らし、山の先輩であり、野球にも誘われ、長嶋が引退の年ダッグアウト裏で観戦し、なんと長嶋が3本のホームランを打ってくれた。
また野坂昭如の滅茶苦茶コンサートにも連れて行ってもらったこともある。
吉永小百合さんから手渡されたラグビーボールを会場に野坂さんが蹴った光景が忘れられない、それから今まで野坂さんのレコードは思い出したように何回も聞いている。
四畳半襖の下張」の猥褻表現で裁判で戦っていた元気な頃、三輪明弘「星の流れに」などを歌い戦後の匂いいっぱい、昭和からの思いをつなげたい。