帰農人 2025 3/01
のりちゃんは星になった気がする
仲の良い従妹の死は初めてだ。のりこちゃんは父方兄弟・長男の長女、俺は6番目の長男、17の違いがある。おれが生まれる前から隣に住んでいて、俺がお腹にいる時の夫婦げんかで母が投げ飛ばされたりして、流産しないか心配したと聞かされた。小1の時、松戸の映画館に「サイボーグ009」を見に連れて行ってくれた。行ったとき始まっていて、終わってから、最初のとこ観たいとだだこねたことを覚えている。いつも暖かく見守ってくれていた。 共産党系の東葛病院で働くようになってから、社会、政治、文化などの活動も続け、話しもよくあった。 11月初めの朝にオノリさんから電話があった。「もうすぐ退院できるけど、なんか気持ちが落ち込んで」となんとも変な電話だった。その次の日、簡単な内視鏡手術をしたが、胆のうの毒が全身に回り昏睡状態に。明日か持っても半月とのこと、すぐに駆け付けた。どこも何にも反応がないが、息づかいなどで、聞こえてる、解ってる、と少し感じた。数日ごとに行くたびにだんだん回復してるのがわかる。死ぬどころか3か月してしゃべれるようになるまで回復し、愛しの我が家に戻れたのが2月8日。ちなみにその日次女のヨーコちゃんちが同じ病院に心筋梗塞で入院した、こちらは今だ入院してるが元気。 のりちゃんが急変したのはこの前の日曜日。次の日行ったときは、容姿をみて、こりゃだめだと思った。木曜日の夜遅くに亡くなった、次の日行ったが、だれもいなかった。お寺に運んでいたと、嫁のアキちゃんが玄関先の野菜を見つけて電話をくれた。2世帯住宅に暮らす次男夫婦と国定忠治の様な元気な旦那からいつも見守られ、旅立っていったのりこちゃんは大幸せ者である。コロナの頃は面会も制限されてたもんね。 なんか人生の一部分をはぎ取られた気がして寂しい、そんな気持ちを葬式等で共有し、親族たちと仲が良くなりつぎなる日々を送っていくんだろうな。 決めた、葬式の時は、ひたすら飲んでやろう、オヤジ達はみなそうしていた、のりこちゃんのアホな笑顔を思い返して。