百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2020 1/18 25年 1995

不気味に暖かい冬が続く、まだハウス等の水道施設の凍結対策はしていない、ヤバいという日が来ない、この25年で初めてだ。楽ではあるが、「温暖化」がちらつき妙に落ち着かない。
昨日は神戸の震災から25年目でラジオ等で95年特集などやっている。震災の前年に35才で百姓をはじめ、小さな田んぼを機械も施設も何もなく、一人(協力者は多数)でバカみたいな模索していた時である。
震災に何とか手を差し伸べられないかとジタバタしていたら八百屋仲間で「有機野菜プロジェクト」が出来、一年間毎週野菜を支援団体等に届け続けるトラックを走らせた、自然療法の東条さんの強力なバックアップもあった。その5月には「晴れ晴れコンサート」という支援の会を責任者として運営したが、会の数日前に地下鉄サリン事件が起こり、その影響などを語った事が蘇る。
東条さんの弟子たちとマサなどが避難所の体育館で足湯で被災者たちを慰労したのが始まりで、その後も神戸の仲間たちが国内各地での震災先での足湯サービスの設置を続けている。なんか神戸の震災は親戚のような気がする。1週間支援テントに泊まり弁当の宅配の手伝いをしていた小4のイザナが帰る車の中で足の臭かったことは語り継がれる。

正月三日の朝イカロスは小屋の中で死んでいた。もう10歳をこえ毛並みも寒々しくなり気力の衰えも感じていた。
穴を掘り仲間と埋葬した。後はオスのクンテ1頭のみとなり寂しいが、日々の世話は楽だ。
次は馬を飼いたいな、人類3千年の歴史の中で田畑を耕し、物を運び、戦闘機として活躍しつづけた馬と接したい。
さてさてどうするべか、さぐりはじめるべ。