百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2021  1/24  最後の言葉は パピプペポ

帰 農 人 2021  1/24
    最後の言葉は パピプペポ
 
 20日早朝「遊学舎」のひとしさんが静かに亡くなったと、連れ合いの聖子さんからメールがあった。
病院から、雪深い美麻村の自宅に戻り1週間、「身も心もきれいにして送りだす」という彼女の思い叶ったのだろう。「遊学舎」とは廃校になった学校を1980年に親父さんで有名な版画家の吉田とうしさんが買い上げ、ひとしさんが宿泊施設として運営した場所のことで、木造2階建てが2棟、体育館や広い校庭にプールに給食室もあり、いつぞやのひと夏、マサも調理スタッフをしたこともある。
 陶芸、版画、ガラス細工、草木染など実に様々な文化活動がそこでは繰り広げられ、安曇一帯に多くの人たちが移住したその実績は誠に大きい。
その移住者たちに自然食を販売するために、4年間毎月遊学舎に俺はトラックを走らせた。
移住者は芸術家たちが多い。みんな貧乏である。支払いのツケが溜まり、インディアンティピーや勉強机などの現物支払いやトラックに神様の絵を書いてもらったりと営業的には大赤字であったが多くの友達ができた。
そんな数人の友から、代わる代わる電話があり状況を伝えてくれた、「23日に火葬するって」、「最後の言葉は、パピプペポだって」、「葬儀はわからんが、もう宴会がはじまってるよ」との事が次々に。OK、それでいい。
遊学舎での思い出は俺の宝だ、居間に飾ってある校舎前での販売風景の写真は美しい。 そういえば世田谷区の区長の保坂展人が若い頃10数人を連れて遊学舎で合宿をやっていて、朝、校庭でみんなに喜納昌吉の「花」をうたわせていたっけ。
昌吉さんは遊学舎設立祭りの時歌いに来て、朝みんなで真っ裸でプールで泳いでいたら、スクールバスが通りかかり大騒ぎになったとも聞いた。今現在、遊学舎の校舎は焼けてしまったが、多くの出会い、思い出が、みんなの中に生き続けていると思う。
 
やっと雨が降った。そんなに冷たくねえ雨が、たっぷり畑に沁み込んでいく。極度の乾きとマイナス6℃の2日間で重体状態の野菜たちが、これで生き返る、もう少し早く来てくれれば、菜花などのが壊滅せずに済んだのに。ともかく、この雨はありがてー、ねぇひとしさん、カンパーイだよね