帰農人 2025 3/9
神に導きられたという だけど
また焼き場で骨を食べてきた。もう随分多くの人の骨を食べてきた。今度は従妹ののりこちゃんの骨だ。骨壺に入れる時、左手の指をなめ、粉の部分を触るとついてくる、こりこりと噛むのはいつもの儀式、あとはひたすら酒を飲むだけ。親父の時代はいつも大宴会だった、今は飲む人が少ないね。 オノリさん幸せな死に方をした。11月に昏睡状態になり「明日かもしれないし、もって半月」と言われ、みんなで病院に見舞いに行ったが、少しづつ体が動くようになり、2月の初め退院できた、でも月の終わりに急変し数日で亡くなった。2世帯住宅で次男夫婦と愛しの旦那に見守られ臨終を迎えた。東葛病院の仲間も多く葬儀にきてくれた。83年間まわりのみんなを和まし続けてくれた、ありがたかった。
次の日も別の葬儀があった、トモだ。38才。アンゴラでマラリヤで死んだ。青山大に行ってた頃からよく遊びに来て、働きだしたら2か月で辞めて、その後はずっと旅人人生、知床でシャケバイ、ひたすらイクラを取り出す作業、富士山などの山小屋、ミカンの収穫、お茶の工場、沖縄でキビ狩りなどをしながら、中南米などを旅し、数年は海外青年協力隊もやっていた、昨年7月にアフリカに入り、自転車の旅を続けていた。走行距離13700キロでカメルーンに入りジャングル奥でピグミーの村で滞在ができ、限りなく原始に近い生きざまに深い感動を覚え、去る時には涙が止まらなかったとのこと。人の存在の意味を見つけたそうだ。「人間社会なんてまっぴらごめん」と思いながら、常々、人とは何か、何故生きているのかを考える旅にやっと答えを見つけ、すぐになくなるなんていたって残念だ。起きてこない彼をホテルマンが部屋に入ると、熱けいれんを起こしていたのですぐに病院に運ぶも4時間後に息を引き取ったそうだ。二日後に実家に連絡が入り、旅行保険で渡航できるも黄熱病などの予防注射だけでも半月以上かかるそうで、火葬や遺品の輸送は任せたそうだ。そんな中、江戸川台の教会で葬儀が行われた、両親は非常に明るく、多くの参列者に感謝していた。髭を生やした薄汚い40位の男たちが沢山いた。旅の仲間たちだ、みんな納得のいかない表情に見えた。おれもそうだもの、逆縁はやっぱりヤダな。