百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

2016/09/03 米国と中国が温暖化のパリ憲章に合意、何故今?

昼に卵を取りに行けなかったので、暗くなってからヘッドライトを付けて採卵に行ったら、餌箱あたりに大量のゴキブリたちがいた。
昼間に出てきたら一瞬で啄まれてしまうのに、彼らは夜は見えない「鳥目」を完全に知っている。
またその夜行性の昆虫をレーダーで狙うコウモリも夕暮れ時から農園の上を飛び回っている。
最近の研究でコウモリの声と同じ周波数の電波を機械で出すと様々な蛾などが半分以上寄ってこなくなるそうで商品開発が進んでいるという。害虫と呼ばれる虫も菌もそれらを食い物にする生き物たちがいっぱいおる。
生態系が豊かだと畑も森も大きな被害が出にくくなる。
ともかく科学物質を減らして命を豊かにとの国民の総意が築かれないと豊かな未来はない、
でも化学物質への依存は進んでいる、お金の為なら何でもやる、家畜(牛、豚、鳥)などの腸内細菌が餌を食ってしまうので細菌を殺す薬を与えると早く成長する。
そし抵抗量が無くなるのでので抗生剤も投与、するとそれたろ薬に対抗性を持った菌たちが育ち、人の腸内で暴れはじめた
薬が効かなくなる、癌を超える殺人兵器になりうる、さすがに医療関係から抗議が増え世界では禁止の方向に向かっている
日本国内では問題視されていない。またびっくりポンな情報で、南北アメリカでは米や麦大豆の乾燥を早める為に収穫寸前に除草剤で枯らす荒業も広がっているという、なるほど、乾燥機の燃料は激減するだろうな、
目先の経済優先が目に余る、立ち上がれジャーナリズム。

2016/08/27 腐るって怖い

野菜の劣化が異常に早い。畑の水分が高まり、根が疲れている。
抵抗性が弱った野菜を、蒸し暑さの中、元気な腐敗菌が責める、驚くほど腐れが早い。
ただでさえ野菜が少なくなり、恐怖の9月の端境期を迎えようとしてるこの時期、精神的ダメージは厳しいね。 
こうゆう時こそ仲間たちと気軽に情報を交わし合いたい。
それもなるべく近くの同じ気候条件の有機農家だ。ネットワークができればいいな、それば夢の一つだ。
常にそのことは県の職員に訴え続けてきた、少しは効果あったのかなぁー?
最近続けて2度の交流会があった。 先日は東葛地区の新規就農者の会があり、ルミちゃんを送り込んだらヒット、しっかりと人脈のシッポを握りしめて帰ってきた、えらい。
 貝人が月山の旅館を辞め帰ってきたあと、思い切り友達たちと遊びまくっている、
春から始めた職場には若い人は他に一人しかおらず、その人とも極端に気が合わず、人間関係に疲れて退散て形かな、
朝5時から夜11時までの職場で積極的に頑張った経験も胆力きもを強くしてくれたようだ。
何より嬉しかったのは東北の霊山「出羽三山」月山、湯殿山羽黒山を登ってきたとのこと、館主の進めであろうが彼の人世に濃厚な光を作ってくれたのでは、とありがたき限りである。 
一方カンボジアで一週間のボランティアをしてきた麻実はあんなこんなで面白かったよと話すが、聞いていても物足りない、たぶん麻美自信も酢であろう、麻実、貝人に次なる経験はいかに降るのか。

2016/08/22 8月は全く持って疲れるね

アウンサウンスーチーが外相として中国に滞在している、国賓級の出迎えを受け、中国との国境沿いの少数民族との内戦を収める為の協議が行われている
。長年軍事政権に抑圧されていた国民にはオリンピック以上に励ましの映像だろう。
中国にもいい影響を与えそうな気がするのはあまりに安易だろうか。 
ちなみにミャンマーはメダルはゼロ、インドでさえ銀と銅が一つづつ、あまりメダルラッシュに浮かれてると政府に踊らされ国威発揚の中危ない国になっちゃうぞ、そんなオラもテレビ漬け、あれ?

 さて稲刈り始めようかなというこの時期、2度目の大雨、ちょっとヤバい、すっかく乾いた田んぼからしばらく水が引かなそう、コンバインが使えない田んぼも出てきそう。
ハウスのビニールも何か所かめくりあがっている
ともかく明日から修復作業を頑張ればと思うが、右足のスネが痛くて元気が出ない、昼間にオスコッコの2回の連続攻撃にあい、出血もした、勿論すぐ数度けりを入れたのでしばらくおとなしくなるだろう
でもこれだけ痛いのは初めてだ、あいつ強ぇーなぁ。
その傷口にハエがたかった、戦時中傷口からウジが湧く話が脳裏をよぎる、すぐさまハエ叩きで潰す、なんとも情けない感じ、でも温かい酒が癒してくれる
数日前月山の旅館を辞め帰ってきた貝人も一回り大人になって頼もしく、何より賑やかになって嬉しい
1週間前から「自由の森学園」高2の研修生が泊まっている。伊東の旅館の息子、極端におとなしい、でもいい子だ。

2016/8/13 形だけの役所的な会はもうたくさん

県内の有機農業の研修会にはなるべく参加している。勉強になることもある。
しかし内容の大半は文章でわかるものばかり、そして何より成功している人たちの自慢話を聞いていてもつまらない。
必ず苦労があったはず、それをどのように乗り越えたのかを知りたいのだ、
そして何より苦労のさなかでもがいている新しい仲間に寄り添ってもらいたいのに、先生みたいで偉そうだ、どこか仲間という感じがしない。
何より各地より色んな人たちが顔を合わせているのに交流ができない、各人がまたバラバラで帰っていく。
すこしでも良い会にならないかなと願い参加しては感想(もんく)を書いたり話したりしている
今回は交流会とあったので少しは期待していたが、農水省のお偉いさんが有機農業の現状把握はまるで素人、ただこれからの計画予定を30分、時間がもったいない、
コーディネーターたちの話しを聞いたら大事な質疑応答の部分はほんの少し、言いたいこと聞きたいことは山ほどあるが他の参加者の話しを聞きたくて我慢。
幸いなことに終了後、香取の若夫婦が糀の話しを聞きに来た、真剣なので具体的な事を沢山短時間で伝えられた。
織物家のあまよかしむの知り合いであることも確認でき仲間として出会いをお互いに感謝できた。嬉しかったな。今日は盆入り、農道だけはきれいにして迎えないと思っていたが、間に合わず今日農大の研修生の女の子に道の草を刈ってもらった。
ちょっと遅れてもやれただけいいか。爽やかな暑さに感謝。

2016/08/07 今年の盆はどんなかな

この夏は気温は高いが湿気が少ない、いつも昼前に全身びしょびしょになり、昼休みにTシャツなどを干すのが日課だが、今年はまだ昨日のみ、ありがたい。
でも暑いのは暑い、完全に夏スタイルになっている。だぶだぶのランニングシャツにステテコか短パン、もちろんノーパン、長靴も暑いので地下足袋(じかたび)、麦わら帽子に冷え冷えタオルを首に巻き、軽トラも停車中、運転席が照らされないようにする。
いつも500㏄のテルモスに入れるミルクコーヒーはストレートに、どうも暑い時期はすぐ酸っぱくなる。発酵するのかなぁ?
でも今日ストレートがおいしかった、暑い飲み物は絶対ほしい、後は井戸水を500㏄のボトルに詰めてちびちび、適度に休みをとってオリンピックや甲子園の様子に聞き耳を立てる。
少しだけのんびりやんべ、今週末は盆入り、ネギに土をかけトマトの枝の整理を終え、後は道など少し草を刈ればご先祖様たちの迎えはできるまでに整理は終えている
おっと、自分の家は滅茶苦茶だ、どこかで半日時間を作らねば。 
明日からインターシップの研修生が8月いっぱい続く、1週間は農大の根性ありそうな女の子、盆からは自由の森学園の3年生の男の子、伊東育ちの農業を志す貴重な子、2週間の泊まり込み、
この暑い時期で大変だろうが、この時期だからこそ深くの縁があるのだろう、ご先祖様を迎え入れるような気持ちで日々を送れたらと思う。
さてさてどんな盆になるんだろうな、心の準備をしなければ。

2016/7/30 連日のロシアの空爆許せない

梅雨が明けて照りつける陽射しはこたえるが、ちょっと曇るとサアッーと冷気を感じられ、地獄に仏、大陸性のオコーツク高気圧が大きく張り出して日本を覆う珍しい形で梅雨明けした
「団気変換」というそうだ。
暑いがさらっとした夏明け、気象現象に興味は尽きない、百姓をやっていての醍醐味である。
 オリンピックのドーピング問題は孤立して滅茶苦茶な道を進むロシアをこれ以上追い詰めてはヤバイとの政治判断でうやむやになった。
しかし問題なのは毎日の様にロシアはシリアの反政府組織の地に空爆を繰り返し、日々数十人が死亡している、あえて病院などが標的にされている。
毎日アルジャジーラは放送で全世界にその様子を伝えている。しかし何故か世界から非難する声は起きない、なんで?
日本は北方領土や経済交流の問題で避難を控えるのは解るが、メディアまで自粛することはない
国内の小さな事件ばかり繰り返し報道し、世界の悲惨な状況にはまるで無頓着、大手の新聞社やテレビ局が保身自粛体制を続けていたら日本人は皆家畜化し総白雉社会を迎える。
東京新聞とラジオだけが頼みの綱だ。「週刊金曜日」と「ディズジャパン」は抵抗を続けているが、普通の週刊誌が情けない、環境や教育、文化など問題はどこに行った、
滅茶苦茶な電力問題、まして明白なる人類的ミスの原発を追及して何が悪い、素敵な雑誌出てこないかなぁー。
エコな専門ラジオ局くらい開設しろよ、緑の党。おれも役員だけど。

2016/07/16 永さん、おれも筋を通して生き抜くよ

永六輔を知ったのは中一の時、ラジオの深夜放送、キンキンとナッチャコパックは真剣に聞いていた。
キンキン(愛川きんや)の放送中、小沢正一さんと永さんが時々乱入していた。
そのころから尺かん法の改正に異議を唱え続けていた。古来からの寸尺などの計り方を廃止し全てメートル基準にするという国の方針に反対し続ける変な有名人くらいにしか思ってなかったが、二十歳の頃には戦い続ける本物の革命家として師と仰ぐようになっていた。
永さんは日本中を歩き続け、生活用具や技術などを研究した偉大な民俗学者宮本常一を師と仰ぎ、各地の織物や大工職人たちとの交流を生涯続けていた。経済の名のもとに無視され潰されていく誠に尊い世界の遺産でもある日本の知恵を大切にしたいと死に際まで発信続けてくれた
そして七夕に他界、「生きてきて良かった、生まれてよかった」と思いながら死ねるのが大往生と永さんは語った。
どんどん亡くなっていく仲間たち、妻も、その思いも一生懸命伝えてくれた。正直だった、常に筋を通していた
 亡くなる10日前に「六輔七転八倒九十分」という最後のレギュラー番組があった
生死をさまよう永さんのベットのそばのラジオから黒柳哲子さんたちのエールの声が響いていた。
生前公開葬儀みたいとびっくり、「無理しても引っ張ってきてラジオの現場で亡くなってもいいと思った」との娘のの言葉は嬉しかった、
彼女もしっかり革命家ではないか、七夕に亡くなるとは最高の演出、忘れられないや。