百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 4/12 なんか変化 60も面白いかも

どんどん好きな人たちの訃報が入る。ショウケンに白石冬実にケーシー高峰
ショウケンは何と言っても「傷だらけの天使」、今までで一番好きなドラマだ、あの頃ビデヲはなくて、友達が最終回を録音したのを何度も麻雀しながら聞いたっけ。チャコちゃんこと白石冬実さんは中学のころ一番愛していた深夜放送、TBSの「ナッチャコパック」
パートナーの野沢那智の言葉や劇団「薔薇座」の座主でもあり二人とも声優の大御酒でもあり、かっこいい大人をあこがれた。
いつかしら「アッチ」を「あち」にニックネームを変えたのは「那智」への憧れである。
ケーシー高峰も尊敬してきた。晩年まで芸は冴えわたっていた。数年前に観た「オスプレイ」が忘れられない。
「心の病もどんどん落ちちゃんですよ。乳首を押せば。これがオスプレイ」凄いなと感心し、それが老いに対抗する言葉のマジックにもなっているから凄い。
ショウケンのライブのレコードを久々に聞く。「大阪で育ったおんなやさかい、東京へはようついていかん、イェーッ!」と、彼のブルースは沁みる。
傷だらけの天使」は再放送の旅に録画してきた、馬鹿野郎どもの大演歌、情けないのがともかくいい。
毎週3枚づつ借り続けた落語のCD、最近は聞いていない話を探すのに苦労する。
生で初めて聞いたのは林家正三、高校に変な国語の先生が連れてきた。
正三は笑点のキクゾウが師匠の正三の物まねをよくやっていた。震える声で「てめ~ら、長屋の~」。正三一門の会が毎月日本橋の「たいめいけん」であった。
第二水曜日「二水会」通った、高校生だった。

帰農人  4月6日 貝人は旅に、クルは真澄の店長に

貝人が消えた。転職してすぐに引っ越ししたらしい。
日本橋の方らしいということ以外職種も住所もわからない。あんなに毎晩のように母ちゃんと長話してたのに、ぴたっと少なくなり、転職の事も殆ど語らなかったらしい。まあ電話が通じるからなんか言ってくるまでほおっておこうということに。
日曜日に「引っ越しは終わったから」と最後の電話があったらしい。その一週間前位に「父ちゃんのをだいぶもらったから」とゴールデンバットを1カートンくれた、あれが挨拶か、いいね、クール。
困ったのはミーコ。ご主人様が急にいなくなり困ってみんなの周りをうろうろ。忙しい俺の所など絶対来なかったのに、こたつに入ったまたぐらに居座ったり腹が減ったと要求するようになる。猫の心と秋の空かい。

いつも今の机に置かれたトイレットペーパー、食事後の食器や牛乳パックなどを片付けながら「しょうがねえなあでも出たらすぐにちゃんとするんだろうな、奴のことだから」と常に思っていた。
6番目の末っ子で母ちゃんとはべったりだった。亡き父も同じ境遇、小学五年生まで乳を吸ってたという。そして結婚後は母を預かった。祖母ハナに幼いころから面倒を見てもらい、小6の時まで同じ部屋に暮らした。父はチビで喧嘩ばかりしてた。
貝人も高校の時大事件を起こした。なんか縁がある。父は高等小学校を出た後、鎌倉の八百屋の丁稚に入り、市場仕事の次に結婚をし、八百屋を立ち上げた。奴はどう転げまわるのだろう。灰皿に貝人のタバコがあった。ちょっと捨てるのにためらった。

帰 農 人 2019 4/01 キジのペアリングがはじまったね

ようやくコッコたちが卵を生み出した。一日に7,8個、大体一斉に朝産む。
餌やりに行った時採ってくるのだが、今朝は一つもなかった。あれ、腹空かして卵を食べたかなと大心配、突っつく癖がつくと面倒だ。
餌をやって30分もしてみると、8個産んでいた。良かったぁー、明日からはなるべく朝早く餌をあげよう、少し多めにね、オンコッコもしっかりした時の声を出せるようになったがまだ声が小さいし、交尾もしていない、食べるのなら今が一番うまいのだろうな。

まだまだ朝夕は冷える、数日先には氷点下の予想が、じゃが芋の芽が出てきたが、霜には極端に弱い
トンネル内の南瓜やヅッキーニ、ハウスのトマトやキュウリも心配だ、予報よ変われと毎日テレビとにらめっこ。
霜は困るがこの花冷えは大好き、朝晩ガンガンストーブで燃やせる。
少し前、植木屋さんから薪を軽トラ2杯ほどの使いやすく割ってあるのをいただいた。ありがたい
しかし生木であり、燃やしていると端から水がジュウジュウ出てくる、ある程度乾いた薪でまっ赤なオキを作った後でないと良く燃えない、少し細く割ったりして工夫しているうちに扱い方もなれ、太いのもきれいに燃やせるようになった。火遊びは楽しいのだ。
先月から運河駅の屋内通路で月に一、二度ある宗教団体の例祭に合わせて野菜の販売ができるようになった。玄米餅が良く売れるので、普段はこの時期には販売を注視するのだが、まだまだ続けられそう。
蒸かしていたら「餅の種を作っているの?」と研修生。あれっ?

帰 農 人 2019 3/23  自分が遊べなかったら、ダメだよね

10日前まではある意味で冬であった。
以前定植したキュウリや枝豆などが一夜にして霜枯れたことも度々、だからと言って定植を遅らすと、温床の苗たちはひ弱に育ちすぎ、それも困る。
ともかく多すぎる種類を同時に育苗するのは全く厄介だ。
ひょろひょろ育つなよとある程度の苗には強い水をかけなぎ倒して強くさせる。でも次の枝豆やトウキビたちには暖かく早く発芽させたいと暖かくさせたいとのようなものとが混同している。移動の時間も採れない。
田んぼの準備もあり、遠慮なく草も一気に生えてくる。どの仕事からこなしていけばいいのか毎日葛藤である。でもなんか心に余裕があるのが不思議だ。
「なんか乗り切れるんでねぇ」という百姓25年目の余裕なのであろうか。ともかくやれる中で売り上げを1割100万円づつ数年伸ばし続けなければ農園の存続はりえないという現状だ。
ただただ働いて仲間を叱咤激励して働くのはもう嫌だ、酒を飲み、本を読み、人に会いながら更に営農を極めたい、昨年までは無理だとあきらめていたことが、なんかできそうな予感が出てきた。
遊びの部分が却って仕事を進める原動力に転嫁するのかも。

図書館に行って落語のCDとDVDを借りてきた。「本は良いんですか?」と窓口で聞かれた。
まだ借りてきた本があるので面白そうな本を見つけたがあきらめた、現代農業や消費者レポート、デイズジャパン、名前のない深部や反原発千葉などをもっと丹念に読まねばとやっと決心がついた
それらを仕事として昼に読むと決めたから

帰 農 人 2019 3/18 くるみ先生も今月で終わり、真澄屋へ

秋に産まれたヒナはすっり大きくなり、半月ほど前からオスが鳴き出した。
「クッオッコー」とまだ弱弱しい。雄鶏はメスの倍くらいの大きさになるが、まだメスと同じでトサカも小さい。
そろそろ産出す頃と気をつけていたら3日前に1つ、昨日も一つ、今日は2つ。
いいぞ、頑張れと幾分餌も多めにやってしまう。小さめだがプリプリしてて味が濃い、これからが楽しみ。

松の実保育園の卒園式に行ってきた。子供の絵とかわいらしい詩が書かれた招待状が毎年来る。
数年行っていなかったが、くるみが給食を手伝っていて、「くるみ先生」と呼ばれているし、人と会うのが今年の目標なので張り切って着物を着ていった。
子供たちのわらべ歌遊びや体操、詩の朗読などの発表があり、驚いたことに「能」の芝居まであった。
聞いてみると、日本の芸能などは子供たちが良く覚えるとのこと、丁度「落語の中の仏教」と言う本を読んだばかりだった。
そこでは世界最古の合奏としての雅楽から白拍子や能、猿楽、声明、浪曲などの歴史が書かれており、子どもたちの発表がどれも何かに当てはまり、唸ってしまった。いいことを教えてくれている。
やはりいつも言うことを聞かず、ふざけてばかりいる多動的なガキもいる、圭太を思い出し、この先大変だろうなと思う。感心したのが回りの誰も怒らず、平気で会は進み、何とかその子もついていく。親はハラハラだろう

 帰 農 人 2019 3/10 切り捨てされ続ける沖縄に祈る

今朝、ウグイスの初鳴きを聞いた、ケキョとまだかわいらしい。ここ数年畑でカッコウの声を聞けなくなり無性に恋しい、もの凄い宝物を無くしたようだ。
20年前の新川高地はサンクチュリア「鳥の聖域」と言われ、一年を通して里鳥の他様々な渡り鳥たちが来訪し、バードウォッチングの人たちも多かったが、タゲリは見ないしアマサギも少ない、シラサギも極端に減少し、大きくて哲学者のようなアオサギもどこに行ったのやら、ささやかな我が農園はノアの方舟か、いつの日か、ウサギ追いしの故郷をみんなが志す世になるまで生き続けよう。それしかない。

「木の樽いらねえか」石山の婆ちゃんからの電話、この前も糀を仕立てる「糀ぶた」を貰ったばかりだ、終活である、80を前にして片づけをぼちぼちやりだした。
「多んぼできなくなったら、後はやってよ」との遺言も以前聞いた。
木の樽も麹ぶたも余分にあるし、置き場に困るのだが、ともかく大事に使ってきた話を聞き「ありがとうございます」貰い受けるしかない。
おかげで使わない農機や農具などが山ほどある、でも時々素晴らしい機械なども手に入るので断れない。この習慣は貧乏八百屋を始めた20代前半から続いている。
「貧乏人は断れない」との言葉を竹細工の尚さんから聞いて、これは座右の銘だなと思った。
終戦前に沖縄の母子年寄が疎開される様子をつづった本を読み終えて、参考文献の中に尚さんの「トカラ国」が記載されていた。
嬉しくって電話すると今読んでる奄美の小説「海しょう」の島尾ミホとの出会いを話してくれた。

帰 農 人 2019 3/03 もう人類ではないかも

昨日松の実保育園で餅つきをした。恒例の父母会の行事で、杵、臼や雑煮用の大なべやガスボンベなど一式を家から持ち込み、もち米や野菜調味料なども店の物、今年のあんこはマサが作ったら大好評
「毎年小豆当番はみんな嫌がり、あんこも評判が悪く残るのに、今年は美味しくてすぐに無くなった」そうだ。さすがだね。
セイロでもち米を蒸かしていると「ほら、火でご飯炊いてるよ、凄いねぇ」と子供に話している。「うん、火で?」「いつも、チン、いや炊飯器でしょう」珍しがっている。大ざるに入れてあるもち米も子供たちが珍しそうにしている。ともかく普通の生活体験が少なすぎるんだねぇ。
味噌の仕込み会の時も薪割りをしていたら、70前の姉さんが「こんなのテレビでしか見たことない」という。簡単な体験会を開催して儲けようかな、「薪割り」「火遊び」「草刈り」「ドブロクの仕込み会」色々あるね。
そうそう今年の薪は近所の八幡様の選定枝、普段一番お世話になっている神社の樹木がストーブの中で燃える音を聞くだけでもとても神妙な気分になる。ありがたい。
もう糀の仕立て作業も終盤、2日に一度、2つのカマドに2つづつ3升のセイロを置き、薪で蒸し上げる仕事もあと数回かな
庭での火仕事は釘の付いたものや野ざらしの古い木を整理しながら使った、無駄にせず、片づけられるのもとても面白かった。
先輩の三省は子供に諭す「火を焚きなさい、色々な木を組み合わせて上手に。心の火を」と。
屋久島の彼は、ヘビを心配して子どもをやぶの中へ放てないのは親ではない、教えるのだと。