百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 12/15  人生バラ色は 日々の中にちらほら

土曜日の直売所祭りでは餅つき係、90の婆ちゃんとその娘ととのチームだ。
今年は小豆がよくとれたというと、「晴ササゲに雨アズキ」とすかさず婆ちゃんが常套句、昔は祝いや祭事には赤飯やぼた餅などが付きもので、女たちが栽培した。誰かが「あんこに味の素は」との問いにすかさず「いらない」、「うちの旦那、なんにでも味の素入れちゃうの」「味噌汁にも?」「勿論、やんなっちゃう」とのこと、グルタミン酸中毒患者だ、添加物の王様味の素はまだどっこい生きているんだ、実態を調べたくなった。
味噌や醤油、漬物に納豆などには天然の酵素アミノ酸などが豊富だ、それを生かさなければ日本が廃る。また婆ちゃんが「漬物が売れなくなったと思ったら、他の人たちの一夜漬けが売れてる。見た目がいいんだって」と、これも味の素マジックかな?。

 薪ストーブを使い始めて40年近くになる、木材を切るチェーンソーとの付き合いは古いが、目立てはへたくそである、新品の刃はとてもよく切れ、力をかけなくとも太いのも、節の固い所もサァーとと切れるが、一日使うと切れなくなり、それなりに研ぐが新品同様にはいつも戻らない、力任せの作業を続けてきた、今年は絶対マスターしようと研ぎを研究したがダメ、新品の刃を買ってきてようく見比べたら刃先の角度の違いが解った、刃先を包丁の様にとがらせるのではなく、45度位の草刈り機のチップソーのようであるのに気づき、グラインダーでさっと直してみたら、目から鱗、新品に戻った。
40年間の「なんでだろう人生」の一つが解消した、凄く晴れやかな気分。「何でだろう」は日常の中にまだ沢山ある。去年買い換えた古い軽トラの燃費がえらく悪く、減っていくメーターをいつも注視する。部屋から庭に出る障子と雨戸、雨戸の具合が悪い、下のレールが他と比べると削れて小さくなっていた、取り替えて治ったら人生バラ色。

帰 農 人 2019 12/3 仲間たちの もがきと栄光

「明日、出産の兆候が無かったら、子宮口を広げて様子を見て、促進剤投与にかかるそうで」と、翌日の遅刻の相談を。
まだ予定日より1週間しか経ってはいない、せっかちなマコトがアヤッペを懸命にサポートし、妊婦の焦りはないと聞く。ああ、もう数日でも待ってやれればいいのに、と思う。

明日は誠が休んでも、4日間の研修できている大三の優香姫がいる。平安期の美人の顔を持ち、はきはきとしたお嬢様、夕べ宮崎の都城から遊びに来た圭介は「このビールうんめえ」と、我が秘密基地「新潟の有機ビールのサーバーから注ぎ入れたジョッキを片手に、優香ちゃんに盛んに話を投げかけていた。
はえらく燃え、懸命に世の中を探り、自分に出来る事を探している
月刊誌にコラムを書き、3千円を貰っている、「えー、一年でなん万、すごいすょねー」、貧乏の中で笑っている。
月に1,2度九州内で開催されているエコイベントに行き、1300円のランチセットを27に販売するという、圭介と再婚した彼女は料理のセンスがあるらしく、習志野高でゴールキーパーをやっていた優れた知力、体力で自信をもって誇らしく生活を築いている姿が頼もしい。
「なんで来たの」、「自分に死を感じて、挨拶しておかなきゃ」だって、腹に凄い痛みを感じ、仲間の整体師からも気御付けろと言われていると言うが、ビールをジョッキで十数杯飲んでたと聞く
元気だし、生き続けたい意思も解る、艶のある黒々とした伸び放題の髪と髭に命の輝きを見ていたら「早く真っ白になりたいっすよ」と、彼は良き族長たちを憧れている、俺もそうだった。そんな奴が簡単に死ぬわけがない、39才、一番エネルギーが燃え盛る太陽のような年代
これからの彼の動きが楽しみだ、いつか九州に仲間たちの畑を訪ねたいものだ。
彼はでかい竹かごを背負い空港に向った。

帰 農 人 2019 11/23 へっぴり腰のエリートたちに世を任せるな

 免許を所得して以来、初めてバックホー(穴を掘る重機)を操作した。長芋を掘り出す為だ。短径の掘りやすい長芋を植えたのに、60cmを超える芋が多く、4,5本掘るのに1時間位かかる、
年末を控えた忙しいこの時期にそんな悠長な事はしてられないし、重機で掘る興味も多く、農協で借りた。
2列の長芋の外側を1mの深さに塹壕の様に掘り出すと、長芋はその後の作業で2百本位が一日で掘れた。凄い。でもレンタル料が1万7千円ほどかかったので採算は合わない、でも作付を2,3倍に増やせばOKだ、来年からの長芋への希望は膨らむ。
ようやく畑が乾いてきて、野菜たちが窒息状態から解放され白い根を伸ばし生き生きしてきた。品種も増えこの週末の2つのイベントで売りまくろうと張り切って準備してきたが、雨で共に中止、今日はヤケ酒、心がしぼむ。

吉村昭の「昭和の戦争」全集を2冊読む。体験談を基礎にした史実は戦時中の人の心中を抉り出してくれる。捕虜になれば親族一同に迷惑がかかると、玉砕精神は最初から兵隊たちに叩き込まれていた、でもその中を生き延びた心中。
連合艦隊の長官クラスが捕虜になり奪還したが、そのエリートを軍事裁判にかけない様に大本営は苦慮し、盗られた軍事書類もゲリラの無関心だとの証言を採用しお偉いさんたちは許されたが、全部米国に連合艦隊の「Z作戦」は伝わり、その後の日本軍の戦いは壊滅的であった。数人のエリートを守る為に百万の兵が殺戮された
この様な史実を教科書で学ばなければ日本人は到底大人になれない、安部は平然と馬鹿な歴史を繰り返している。今度の「さくらの会」事件以来、報道の姿勢はかなり変わったように感じる。その剥きだした牙をどの様に折るか、安部たちは必死に陰で策を打ち続けている、、でも限界だね、変わるかも、流れが、ほんと、

帰 農 人 2019 11/15  尚さん 来年もよろしくね

歌う弓さんのかかとはほぼ浮き上がっていた。気功的技術を駆使して天地の波動をを歌声にしている…やはり巫女さんだ。
ハウスの中に畳表を敷き詰め、周りでは竹かご作りに手を動かしながら聞く人その他で百名位の人が聴き入っていた。何といっても「いつもなんどでも」は歴史的名曲だ
歌っている後ろはヤギ小屋で匂ったが、いつも教育的団体のコンサートが多いという中、まったく違う状況での中の演奏に、2人はとても楽しんでくれた。
ダンナの中川さんは、この会場の曲として「竹とワラと人」という題の即興曲を演奏してくれた。
あまり呑めない人なのに、演奏後の飯の時、ビールとドブロクを飲み、家に帰ったらすぐ倒れたそうだ。
なにより面白かったのは、音合わせ、調弦等が終わった後、演奏時間には間があったので「ちょっと体をほぐそうか、気流法でも」と声をかけたら、弓さんは応え、「水のエクセサイズ。からだを水袋と思って~、」と導いたら、多くの人がメビウスの輪の動きに乗せ合わせ操法に参加していたことだ。
さて弓さん、中川さんとの付き合いはこの後どう深まるか楽しみだ。

講座の方も講師三人が全力を尽くし参加者にそれぞれの感動を伝えた。スタッフを含め様々な人たちが支えてくれた、毎回二日間の昼飯を作っていつも大好評のマサも、今回はいつもの二倍の八〇人分に苦労していた、でもまた皆大満足。
何とかなった、講座の終わりかけには、ほっとして酒を飲みながら片づけと見送りをしていたら、ここで事件が起きてしまった。
片づけを任せっぱなしにしたので、参加料の受け取りや様々なメモを書き添えた参加者名簿がどこかに消えた。
翌日探し回ったががダメ、講師たちと記憶をたどりながら、清算をした、幾人もの貴重な住所も紛失、けっこう落ち込んだが、会へのみんなの満足な声が聞け、まだその余韻に浸っている。祭りの後の寂しさはない、人は素敵だ。

帰 農 人 2019 11/08  おでかけって いいね

またまた銀座に行ってきた。
今度は写真展、40年前まらのお客さんでもある笠島女史は、もうプロのカメラマンだ、よく畑を写しに来てくれる。
流山の仲間たちとの共同個展で那須にある農園に嫁いだルミちゃん達の5枚の写真があり「帰農人」とテーマされている。
午前中で仕事を切り上げ、3人で駅に向かったら、もう半月後に出産を控えるマコトの嫁さん、アヤノちゃんもやってきた。車中、出産談議に花が咲く、沢山歩いても平気そうでなにより。麻実の勤務する病院で産むので、麻実が産科に移るのは来年でも、ちょくちょく実習に入っていると聞き、偶然が重なると面白いなと想像する。
インドカレー屋に入るのなんて20年ぶり、手で食べやすいプレートに盛り付けされてきたので、嬉しかった。
久々に手で食べたが残念なのが、どのカレーも上等過ぎて物足りなかった。
二十歳の時の1年間のインド貧乏旅行では、一番安い宿や食べ物を探しまくった。
リキシャで友人たちとほとんど具のない強烈に辛いカレーを唐辛子を齧りながら路上で食べたり、聖地を巡礼する修行僧に化けて寺院で木の葉を木の枝で繋いだお皿に、青いプラバケツから柄杓で配られたカレーも忘れ難い。
汽車の中でのお弁当にと、新聞紙に包まれたドライカレーとチャパテイが一番心に残る。ちょっとであったがヒンズー語で会話し、手を合わせて定員さんと挨拶できたのが嬉しかったと振り返る。

明日、明後日は10回目の竹ワラ細工の講習会。今日は会場の準備と片づけでてんてこ舞い。
明日一日目の夕方からは尚さんを主役の飲み会、2日目は弓さんのコンサートなのだが、2日目が心配
演じる方も聞く方も満足できるスタイルにどう持っていけるか、心配性の弓やんといい加減な俺との久々のコンビ、美しく開け。

帰 農 人 2019 11/03 「水俣」は生きている

今夜は、寒くない。冷えてきたなと、毛布を巻きながら本を読んでいたが、丁度よく隣の家の解体が始まった。
解体屋のにいちゃんに「角材はみんなもらうよ、軽トラ置いておくから乗せといて」と、最初から話はつけておいた。
それを畑に運ぶこと4回、あと1回で終わりかな、ともかく乾燥しきっている材木の破片が庭先に山のようにある、うちの薪たちは雨に祟られ、しっかり水を吸っている。が、目の前に宝の山。
職人たちが帰った後、半分ぶっ壊されている家に、ヘッドライトに手袋をはめ、釘を踏みつけない様に適当な木材を集めまわる。
わずかな時間だが、ありがとうと至福の時間が過ごせ、勿論すぐにストーブは活躍し朝晩温めてくれること、ここ4、5日、ありがたやのヌクヌクの部屋。
いつもなら、焼酎とドブのお湯割りだが、二日続けてラグビー、正当な子どものケンカお手本を見入りながら、サーバーから何杯もサーバーからジョッキにビールを注いだ。

親族のような八百屋仲間「旬」の美鈴さんの百ヶ日の法要に一人芝居が上演された。
やおや旬のお宝「天神庵」に入ると、上がり框下駄箱の前に祭壇が作られ焼香ができるようになっていたが、線香用のろうそくに火が灯っていない。香取家は相変わらずバタバタだ。
農園のコンテナ二十個の上にコンパネを置き、布を被せた音響と音楽コーディネータの元での芝居は「天の魚(いを)」石牟礼道子「区海浄土」の中の一篇を、15年前まで上演していた砂田明の後をうけ、初老のベテラン俳優の川島 宏知が演じる。
爺ちゃんは、「水俣病」前の波の少ない水俣湾での貧乏でも心豊かな漁師の姿などを語り、家族がみな病気に掛かり、孫は産まれつき四枝はまともに動かせず寝たきりで話せないが、みなに迷惑を掛けない事を常に心がけている。
心を、神仏への祈りと共に孫に手を合わす。水俣は生きている。

帰 農 人 2019 10/28 竹わら講習会 あと少し空きがあります

中々畑の水が引かない。根菜類は腐らないか、根腐れも心配、ともかく仕事がはかどらない。
被災地に比べればまだまだ仕事ができるだけ幸せだ。全然秋を楽しめないが、長雨はよくある話だ。

来月の竹細工講習会で木村弓さんのライブで使う電子ピアノを探していた。弓さんも旦那の中川さんも生ピアノ専門で、納得がいく機材探しは大変だ。
わらしこ保育園関係のピアノの先生から借りられることになり、音のチェックに弓さんの家に持っていった。新居に入ったのも初めてだが、旦那とも初対面。まず驚いたのが、2人の音楽家が存分に創作や練習に打ち込めることが出来る家。1階にも2階にもでっかいグランドピアノがあり、1階はリビングも含めてコンサートもできるような粋な空間、俺が入ったらあちこちに土が落ち、やべっ。
ダンナは俺より一つ年上の現代音楽家、訳の分からん滅茶苦茶な音楽が大好きだが、金にはならんのでコマーシャルの作曲等で稼いでいるそうだ。
「ほら、あれ、夏目雅子さんの骨髄移植のやつ、黒烏龍茶、もっくんの」と弓さんに急かされ困ったように曲を聞かせてくれた。視線が斜め上目使いでちょこまか動く仕草は、不審者みたい。
実はスタッフの木野ちゃんが劇団にいたころ、中川さんが音楽担当で出演もしてたみたいで、いつもの怪しげな姿そのまま演じてと指導されたそうだ。
その頃から弓さんはメビウス気流法の会に誘い続け、今も続けている。5年前ほど前から谷川俊太郎さんも気流法に参加され交流があるそうだ、やっぱり縁はつながっている。 

電子ピアノを貸してくれたNさんのコンサートが銀座であるからいかない?と仲介の唐沢女子より誘われ土曜日の午後、デートした。話しは尽きない。
聞く前に昼飯をと会場前の日比谷公園で屋台を探したがなく、淡路島のアンテナショップでカレーを食べた。それなりの小さな旅であった。