百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2019 3/18 くるみ先生も今月で終わり、真澄屋へ

秋に産まれたヒナはすっり大きくなり、半月ほど前からオスが鳴き出した。
「クッオッコー」とまだ弱弱しい。雄鶏はメスの倍くらいの大きさになるが、まだメスと同じでトサカも小さい。
そろそろ産出す頃と気をつけていたら3日前に1つ、昨日も一つ、今日は2つ。
いいぞ、頑張れと幾分餌も多めにやってしまう。小さめだがプリプリしてて味が濃い、これからが楽しみ。

松の実保育園の卒園式に行ってきた。子供の絵とかわいらしい詩が書かれた招待状が毎年来る。
数年行っていなかったが、くるみが給食を手伝っていて、「くるみ先生」と呼ばれているし、人と会うのが今年の目標なので張り切って着物を着ていった。
子供たちのわらべ歌遊びや体操、詩の朗読などの発表があり、驚いたことに「能」の芝居まであった。
聞いてみると、日本の芸能などは子供たちが良く覚えるとのこと、丁度「落語の中の仏教」と言う本を読んだばかりだった。
そこでは世界最古の合奏としての雅楽から白拍子や能、猿楽、声明、浪曲などの歴史が書かれており、子どもたちの発表がどれも何かに当てはまり、唸ってしまった。いいことを教えてくれている。
やはりいつも言うことを聞かず、ふざけてばかりいる多動的なガキもいる、圭太を思い出し、この先大変だろうなと思う。感心したのが回りの誰も怒らず、平気で会は進み、何とかその子もついていく。親はハラハラだろう

 帰 農 人 2019 3/10 切り捨てされ続ける沖縄に祈る

今朝、ウグイスの初鳴きを聞いた、ケキョとまだかわいらしい。ここ数年畑でカッコウの声を聞けなくなり無性に恋しい、もの凄い宝物を無くしたようだ。
20年前の新川高地はサンクチュリア「鳥の聖域」と言われ、一年を通して里鳥の他様々な渡り鳥たちが来訪し、バードウォッチングの人たちも多かったが、タゲリは見ないしアマサギも少ない、シラサギも極端に減少し、大きくて哲学者のようなアオサギもどこに行ったのやら、ささやかな我が農園はノアの方舟か、いつの日か、ウサギ追いしの故郷をみんなが志す世になるまで生き続けよう。それしかない。

「木の樽いらねえか」石山の婆ちゃんからの電話、この前も糀を仕立てる「糀ぶた」を貰ったばかりだ、終活である、80を前にして片づけをぼちぼちやりだした。
「多んぼできなくなったら、後はやってよ」との遺言も以前聞いた。
木の樽も麹ぶたも余分にあるし、置き場に困るのだが、ともかく大事に使ってきた話を聞き「ありがとうございます」貰い受けるしかない。
おかげで使わない農機や農具などが山ほどある、でも時々素晴らしい機械なども手に入るので断れない。この習慣は貧乏八百屋を始めた20代前半から続いている。
「貧乏人は断れない」との言葉を竹細工の尚さんから聞いて、これは座右の銘だなと思った。
終戦前に沖縄の母子年寄が疎開される様子をつづった本を読み終えて、参考文献の中に尚さんの「トカラ国」が記載されていた。
嬉しくって電話すると今読んでる奄美の小説「海しょう」の島尾ミホとの出会いを話してくれた。

帰 農 人 2019 3/03 もう人類ではないかも

昨日松の実保育園で餅つきをした。恒例の父母会の行事で、杵、臼や雑煮用の大なべやガスボンベなど一式を家から持ち込み、もち米や野菜調味料なども店の物、今年のあんこはマサが作ったら大好評
「毎年小豆当番はみんな嫌がり、あんこも評判が悪く残るのに、今年は美味しくてすぐに無くなった」そうだ。さすがだね。
セイロでもち米を蒸かしていると「ほら、火でご飯炊いてるよ、凄いねぇ」と子供に話している。「うん、火で?」「いつも、チン、いや炊飯器でしょう」珍しがっている。大ざるに入れてあるもち米も子供たちが珍しそうにしている。ともかく普通の生活体験が少なすぎるんだねぇ。
味噌の仕込み会の時も薪割りをしていたら、70前の姉さんが「こんなのテレビでしか見たことない」という。簡単な体験会を開催して儲けようかな、「薪割り」「火遊び」「草刈り」「ドブロクの仕込み会」色々あるね。
そうそう今年の薪は近所の八幡様の選定枝、普段一番お世話になっている神社の樹木がストーブの中で燃える音を聞くだけでもとても神妙な気分になる。ありがたい。
もう糀の仕立て作業も終盤、2日に一度、2つのカマドに2つづつ3升のセイロを置き、薪で蒸し上げる仕事もあと数回かな
庭での火仕事は釘の付いたものや野ざらしの古い木を整理しながら使った、無駄にせず、片づけられるのもとても面白かった。
先輩の三省は子供に諭す「火を焚きなさい、色々な木を組み合わせて上手に。心の火を」と。
屋久島の彼は、ヘビを心配して子どもをやぶの中へ放てないのは親ではない、教えるのだと。

帰農人 2月25日 久々にお雛様を出したよ

イッシーが来た。農園最初の相棒であり、今は大分の宇佐の実家におり、元気に田畑を走り回っている。連れ合いのアキヨちゃんの松戸の父に会いに来たいう。
「ハローエブリバディー、真実の世界はちゃんと存在するんだよね」とか来た早々から、まことやキノちゃんに宇宙語でしゃべりまくっている。
こよなく酒を慈しむ姿はほとんど神様。
宴会の後、缶や瓶の底に残る気の抜けたビールなどを美味そうにいつも飲んでいたな。ギターは飛び切り上手かったが、今は毎日ピアノを弾いているそうだ。祈りの時間であろう、目はヤギの目の様に澄み渡っている。
同じ大分で和気が臼杵で農民カフェをやりながら広く黒米を作ってるし、娘も古民家の民宿をやっている事を伝えた。
以前流山に下北沢のバカ連中を連れて田んぼをやっていて、うちが仕事として支えていた。
車で1時間ほどの距離たぶんいずれ会えるだろうと思っていた。
先日イッシーから葉書が届いた。近くのライブハウスに和気が来るからと偶然誘われ行ったそうで、「軽トラックサイコー」の歌も歌ってたと再会に感激した文面が。縁はどんどん繋がっていく

今日は運河の朝市の予定だったが、雨予想で中止になってしまった。雨は一滴も降らず、おだ穏やか春日和、、売り損ねたことよりも、新人のマコトに販売を教えるのを楽しみにしてたのにと悔やみながらヤギを土手に離しに行くと休日なのにマコトがいた。
「トンネルのビニールがはがれていたので」といい子だ。
空ではオオタカがデート飛行を。

帰 農 人 2019 2/18 政治に常に関心を、遠ざかるのはダサい

緑の党が結成されて参議院選に挑んだが、落選。供託金の2千万円が没収され、その後国政選挙からは遠ざかってはいるが、市町村議員の会員やサポーターは全国で70人ほどいる。
千葉支部の総会が成田であった。成田の市議素敵な女性の会津さんから誘いの電話があり、会場は古民家カフェのふーらだという、そこは知り合いの活動家のエイコがやっていて気にしていたが行ったことはなかった。
以前彼女が前の店を始める前、無理だよ、家族が滅茶苦茶になっちゃうよと何度もメールで説得したが、彼女はその後走り続けた、今もそう、これは会いに行くのにいいチャンスと、久々の電車の遠出。
参加者はほとんどが議員や前議員、松戸、成田、館山、八街、白井、浦安、野田など結構いる。
それぞれがその議会で活躍している様子を聞き、頼もしかった。
総会の後、福島の放射能汚染~子どもたちを守る活動をしている方が講演をした。学校や施設のそばのモリタリングポスト正常な数値を出すものから3,4割低い数字を出すものに変えられたという、年間1ミリシーベルト越す被ばくは、法律で許されなかったが、福島の多くの地でその基準を現在も超えている地域が多く、幼子や妊婦を抱えた家族が葛藤しながら暮らしている。

温暖化や環境破壊に対してEUの子供たちは声を上げ始めた。スゥエーデンの16才の女子が一人で金曜日に授業に参加せず抗議行動を始めた、それがEU各地に広まり、小中高校生たちが金曜日に学校を抜け出しデモを始めた。これは凄い。注目しよう。

帰 農 人 2019 2/09 阿部の傲慢風は市議会にもなびく

新松戸駅の西口には高層マンションが立ち並ぶが、東口は何も開発されないまま畑と里山がホームから見渡せる不思議な地域。その畑で有機野菜を作り、直売所で販売してきたのが仲間のタマコ家族だ。
昨年秋突然開発計画が出来上がり、三菱地所が開発を仕切り「あなたはこのマンションの12階に住んでください」と突然役所の職員が説明に来たのだから大きな地権者たちは猛反発、すでに地域住民の8割の承諾を得たと役所は強気だが、後の2割が8割の地権者だ。
近松戸市は流山に負けるなと矢切の田畑に物流倉庫群を誘致したりと意気盛ん、あまりにも金が飛びかうので大きな政党はヤバイ議員を変えたりしているとも聞く。
昔、三蔵法師の旅姿のような若い旅のそば打ちがやってきた、タマコは惚れて共に旅立ち、子を連れて出戻った。母さんと妹が野菜を作り、タマコが販売してた。
その後、母の実家の布佐のEM有機農家の野口君が30半ばで堆肥散布機の掃除中機械に巻き込まれ窒息死した。
二人目の若い母ちゃんには赤んぼがいたが、親がひったくるように出てしまった。
呆然と一人残る婆ちゃん、タマコの母親と後片付けなどを手伝った。
ただ同然で機械屋が持っていくという農機具のいくつかは買い取って今も使っている。どちらかというと活動的ではないタマコが先頭で活動しているというので面白い、ともかく励ましの電話をと、彼女は本気だった。
決まったから従えと頭ごなし命令は成田も辺野古も同じ
金の世界で政界と企業が大手を振って日本を潰し続ける、ふざけんなとむずむずしてきたぞ。

帰 農 人 2019 2/02  ルミちゃん無事出産 マナも当選

夕刻、家に車を入れようとしてた時、携帯がなった。『N子です、なんで結婚してくれなかったんですか!』といきなりだ、ぶったまげた。
高校の時、屋上から飛び降りて何とか助かって以来友人との付き合いは切れ、エホバの人たちとだけ付き合っていた子からだった。
小4から同級生になり、毎月の様に文通し、時々、仲間たちと共にボーリングやアイススケートなどしてたが、中一の頃から手紙は途絶えた。軽い登校拒否などもし何か精神的なダメージがあったのだろう。
高校に入ってから彼女の女友達から彼女を支えてくれとの依頼があり、下駄箱交換日記をはじめ、自転車で一緒に帰ったり、上野に青銅器美術展なども見に行った。その後飛び降りた。
丁度部室前の体育館の縁にいて、落ちていく姿を目撃した。その後は小6の時の担任の先生に年賀状をだしていて、先生から様子を聞くしかなかった。
「生きているのがとてもつらい」などと言い出したので、「明日会いに行くよ」と言うしかなかった。話してたら色々事情が見えてきた。俺の担任の先生が好きになり、俺はㇷられたのだ。
どうしても先生の事が消化できないようなので「電話しな。会えばいいじゃん、あとで番号知らせる」、先生に状況を話し、「お前とはどんどん深い縁で絡まっていくなぁー、いいよ話すよ」と言ってくれ、すぐに電話があり、1時間ほどの会話があったそうだ。その後頭の中でぐるぐる回っている。
電話の前に店に来て「アッチと結婚するはずだったN子です」と訪ねてきたので、店の女たちも大はしゃぎ、彼女は引きだり出すしかない。さてさて。