百姓日記 帰農人

農園の長、アチが書く百姓日記

帰 農 人 2020 1/27  米、野菜は神への最高の捧げもの

今場所は凄い相撲の大盤振る舞い、群雄割拠、みんな俺が上に行くとギラギラしている。うなされる取り組みが毎日続く、4時半を過ぎるとそわそわしだす。
そろそろ小兵の石浦が、そのころからラジオやテレビにかじりつく。 
奇跡の優勝、徳勝竜の立会前の顔は江戸の絵巻そのまま、勝ってすぐにの男泣きは、まさに歌舞伎の名役者。 貴景勝は体の丸っこさ、つぶらな瞳にちょぼ口を尖らせている様はヒヨコ、そう、でっかいヒヨコにみえて、「飛べ、走れ」と応援してきたが、徳勝竜も一回り大きいデカヒヨコ、しかも老練、見事な一番。来場所が今から楽しみ。 
ちゃぶ台返しの歌舞伎~」という本を読んだばかりで、相撲の様式美は強く感じる、また歌舞伎の本を借りてきちゃった、観たことないのにね。

落語には「富くじ」話しが幾つもある。年末にくじを買ってから大当たりの話しを何本も聞いた。先日そろそろと確かめると、はずれ、30年で5千円一本だけ、1億円当たった夢は2度見たけどね、あそことあそこにはいくら寄付してと算段していた時は嬉しかったなぁ、夢だけど。
昨年は雨が多かったので八つ頭も良く取れた、まだでかいのが沢山保存されている、先日朝市で並べていたら、年よりたちがデカいのを買ってくれた
「トン汁は、煮物は、これでなきゃ」と曲がった腰で重いのをぶら下げていく、野菜が好きな人たちはありがたい、漬物の好きな人はでっかい白菜を好む、でもそのような人たちは随分少なくなった、かく言う自分を忙しさにかまけて最近は野菜を漬けていない、
また少しずつ再開してみたい、それが大きな安らぎを呼び、財布を少し膨らませてくれたらありがたいが、中々難しいのだ、でもけっして悪くわない趣味だ。

帰 農 人 2020 1/18 25年 1995

不気味に暖かい冬が続く、まだハウス等の水道施設の凍結対策はしていない、ヤバいという日が来ない、この25年で初めてだ。楽ではあるが、「温暖化」がちらつき妙に落ち着かない。
昨日は神戸の震災から25年目でラジオ等で95年特集などやっている。震災の前年に35才で百姓をはじめ、小さな田んぼを機械も施設も何もなく、一人(協力者は多数)でバカみたいな模索していた時である。
震災に何とか手を差し伸べられないかとジタバタしていたら八百屋仲間で「有機野菜プロジェクト」が出来、一年間毎週野菜を支援団体等に届け続けるトラックを走らせた、自然療法の東条さんの強力なバックアップもあった。その5月には「晴れ晴れコンサート」という支援の会を責任者として運営したが、会の数日前に地下鉄サリン事件が起こり、その影響などを語った事が蘇る。
東条さんの弟子たちとマサなどが避難所の体育館で足湯で被災者たちを慰労したのが始まりで、その後も神戸の仲間たちが国内各地での震災先での足湯サービスの設置を続けている。なんか神戸の震災は親戚のような気がする。1週間支援テントに泊まり弁当の宅配の手伝いをしていた小4のイザナが帰る車の中で足の臭かったことは語り継がれる。

正月三日の朝イカロスは小屋の中で死んでいた。もう10歳をこえ毛並みも寒々しくなり気力の衰えも感じていた。
穴を掘り仲間と埋葬した。後はオスのクンテ1頭のみとなり寂しいが、日々の世話は楽だ。
次は馬を飼いたいな、人類3千年の歴史の中で田畑を耕し、物を運び、戦闘機として活躍しつづけた馬と接したい。
さてさてどうするべか、さぐりはじめるべ。

帰 農 人 2020 1/12 きのうから「太公望」

仕事始めから1週間、まだお屠蘇気分でまったり過ごしている。
師走の慌ただしさを越し、この時期が一年で一番ゆったり過ごせる。明日は八幡様の「おびしゃ(新年の氏子の総会)」がり昼前から宴会が始まる。地元の人たちと語る期会は滅多にないので、いつも嬉しくて大酒をくらい、3時ごろヨタヨタ帰ってきてコタツで横になるのが通年
でも数日来の風邪がまだ完治していない、帰省した末っ子の貝人が熱を出したが、それがうつったらしい、マサは判断食ですぐに回復、オラは酒を薄めて体をいたわったっているつもりだが、「減る量はかわらなーい」とのイヤミは、全くでござんす。
しょんべんの色はいい、悪化はするまいと酒はやめられぬ。ヒッピー世界の代表的シンガーの内田ボブちゃんは昨年酒は止めたという、
タバコは飲んでる、あの酒癖のの悪い大酔っ払いが、連れ合いのみどりちゃんから聞き、それ以来気になっている、「なんで?」

図書館の落語のCDはほぼ聞いてしまった、カセットテープに目を移すと、けっこう変わった演目がけっこうある、軽トラにあるデッキでCDを楽しんでるが、テープは家でしか聞けない。
家で時間が出来たら本にかぶりつく、歴史や文化を知ることに中毒になってしまった
年末に借りた4つの物語はどれも当たり、紀元前1300年の中国の「夏」から「商」への大朝の経んとの立役者の調理人の話し「天空の船」、明治維新と同時期に、香港などの沿岸部で、エホバをかみとして、平等を基本として、アヘンは断固禁止と唱え清朝に対し武力革命を決行、1年位は数十万の都市を幾つかユウートピアに変え、感動した支援者たちが集まってきたが、数年で駆除され、アメリカに逃げた人たちは、東西大陸鉄道建設の主力労働者天球は駆ける)。
「新三河物語」で(百小一揆)が学べた。

帰 農 人 2019 12/20 一筆啓上火の用心 人を泣かすな 畑肥やせ 

帰 農 人 20112/20          
一筆啓上火の用心 人を泣かすな 畑肥やせ
 
昨年のクリスマスの真夜中、鶏小屋の火事があった、育苗のダンボールハウスを鶏小屋の中に入れ、外気にならしていた頃で、ダンボールの中に溜まった鶏糞が熱を持ち自然発火しダンボールから小屋に燃えうった。まだ幼児のような雛たちはドアの前に固まり難を逃れたが、今は毎日の様に卵を産む立派な成鶏、もうすぐ峠を迎える。
そろそろ産卵率が減るので次の雛を考えねば。 先日鶏糞出しをしていて、コッコを外に放した、夜には小屋内の止り木に戻ると思っていたら、ずうっと一匹で外に暮らしていた爺さんコッコのがいつも停まる水洗い場の上に2羽の姉ちゃんが寄り添っていた、初めて外に放った姉ちゃん達に爺コッコは数年ぶりに乗っかっていた。糀用の米を蒸かす夕闇が濃くなった頃、鳥目で闇の中では動けない姉ちゃん達を小屋の中に放り込んだ。小屋の中の成人オンコッコは何度も張裂けんばかりのきれいな「コケコッコー」を繰り返す、いつもなら負けない時の声を上げる爺コッコは最初は無視し、その後「クッオーン」と細く弱い泣き声を繰り返した。「あの娘たちを持って行かれたよー、でも良い時を過ごした」と嘆きと感謝が入り混じったような鳴き声を、薪をくべながら半時も聞いていた。

 「もう父さんは7年も植物状態」と従弟の嫁から聞いた。実家のそばの魚屋の娘で同級生のサチである。知り合いのシタール弾きの公朗の妻のミサトさんは倒れて1年、毎日一時間ほどは面会に行き体を解しているとのこと、15日はミサトの七〇の誕生日やから、家につれてきて、三時間ほど介護をしたとと聞く、面倒を見る公朗もミサトさんも天使だ。この正月二日は2人に会いに行くことにした。病院にいる麻実に植物状態の実態を聞いた、数日後レポートが届いた。長い人で一〇年位、経費は月8万、北欧三か国では栄養中断も可能ということらしい。
さてどうもがく?

帰 農 人 2019 12/15  人生バラ色は 日々の中にちらほら

土曜日の直売所祭りでは餅つき係、90の婆ちゃんとその娘ととのチームだ。
今年は小豆がよくとれたというと、「晴ササゲに雨アズキ」とすかさず婆ちゃんが常套句、昔は祝いや祭事には赤飯やぼた餅などが付きもので、女たちが栽培した。誰かが「あんこに味の素は」との問いにすかさず「いらない」、「うちの旦那、なんにでも味の素入れちゃうの」「味噌汁にも?」「勿論、やんなっちゃう」とのこと、グルタミン酸中毒患者だ、添加物の王様味の素はまだどっこい生きているんだ、実態を調べたくなった。
味噌や醤油、漬物に納豆などには天然の酵素アミノ酸などが豊富だ、それを生かさなければ日本が廃る。また婆ちゃんが「漬物が売れなくなったと思ったら、他の人たちの一夜漬けが売れてる。見た目がいいんだって」と、これも味の素マジックかな?。

 薪ストーブを使い始めて40年近くになる、木材を切るチェーンソーとの付き合いは古いが、目立てはへたくそである、新品の刃はとてもよく切れ、力をかけなくとも太いのも、節の固い所もサァーとと切れるが、一日使うと切れなくなり、それなりに研ぐが新品同様にはいつも戻らない、力任せの作業を続けてきた、今年は絶対マスターしようと研ぎを研究したがダメ、新品の刃を買ってきてようく見比べたら刃先の角度の違いが解った、刃先を包丁の様にとがらせるのではなく、45度位の草刈り機のチップソーのようであるのに気づき、グラインダーでさっと直してみたら、目から鱗、新品に戻った。
40年間の「なんでだろう人生」の一つが解消した、凄く晴れやかな気分。「何でだろう」は日常の中にまだ沢山ある。去年買い換えた古い軽トラの燃費がえらく悪く、減っていくメーターをいつも注視する。部屋から庭に出る障子と雨戸、雨戸の具合が悪い、下のレールが他と比べると削れて小さくなっていた、取り替えて治ったら人生バラ色。

帰 農 人 2019 12/3 仲間たちの もがきと栄光

「明日、出産の兆候が無かったら、子宮口を広げて様子を見て、促進剤投与にかかるそうで」と、翌日の遅刻の相談を。
まだ予定日より1週間しか経ってはいない、せっかちなマコトがアヤッペを懸命にサポートし、妊婦の焦りはないと聞く。ああ、もう数日でも待ってやれればいいのに、と思う。

明日は誠が休んでも、4日間の研修できている大三の優香姫がいる。平安期の美人の顔を持ち、はきはきとしたお嬢様、夕べ宮崎の都城から遊びに来た圭介は「このビールうんめえ」と、我が秘密基地「新潟の有機ビールのサーバーから注ぎ入れたジョッキを片手に、優香ちゃんに盛んに話を投げかけていた。
はえらく燃え、懸命に世の中を探り、自分に出来る事を探している
月刊誌にコラムを書き、3千円を貰っている、「えー、一年でなん万、すごいすょねー」、貧乏の中で笑っている。
月に1,2度九州内で開催されているエコイベントに行き、1300円のランチセットを27に販売するという、圭介と再婚した彼女は料理のセンスがあるらしく、習志野高でゴールキーパーをやっていた優れた知力、体力で自信をもって誇らしく生活を築いている姿が頼もしい。
「なんで来たの」、「自分に死を感じて、挨拶しておかなきゃ」だって、腹に凄い痛みを感じ、仲間の整体師からも気御付けろと言われていると言うが、ビールをジョッキで十数杯飲んでたと聞く
元気だし、生き続けたい意思も解る、艶のある黒々とした伸び放題の髪と髭に命の輝きを見ていたら「早く真っ白になりたいっすよ」と、彼は良き族長たちを憧れている、俺もそうだった。そんな奴が簡単に死ぬわけがない、39才、一番エネルギーが燃え盛る太陽のような年代
これからの彼の動きが楽しみだ、いつか九州に仲間たちの畑を訪ねたいものだ。
彼はでかい竹かごを背負い空港に向った。

帰 農 人 2019 11/23 へっぴり腰のエリートたちに世を任せるな

 免許を所得して以来、初めてバックホー(穴を掘る重機)を操作した。長芋を掘り出す為だ。短径の掘りやすい長芋を植えたのに、60cmを超える芋が多く、4,5本掘るのに1時間位かかる、
年末を控えた忙しいこの時期にそんな悠長な事はしてられないし、重機で掘る興味も多く、農協で借りた。
2列の長芋の外側を1mの深さに塹壕の様に掘り出すと、長芋はその後の作業で2百本位が一日で掘れた。凄い。でもレンタル料が1万7千円ほどかかったので採算は合わない、でも作付を2,3倍に増やせばOKだ、来年からの長芋への希望は膨らむ。
ようやく畑が乾いてきて、野菜たちが窒息状態から解放され白い根を伸ばし生き生きしてきた。品種も増えこの週末の2つのイベントで売りまくろうと張り切って準備してきたが、雨で共に中止、今日はヤケ酒、心がしぼむ。

吉村昭の「昭和の戦争」全集を2冊読む。体験談を基礎にした史実は戦時中の人の心中を抉り出してくれる。捕虜になれば親族一同に迷惑がかかると、玉砕精神は最初から兵隊たちに叩き込まれていた、でもその中を生き延びた心中。
連合艦隊の長官クラスが捕虜になり奪還したが、そのエリートを軍事裁判にかけない様に大本営は苦慮し、盗られた軍事書類もゲリラの無関心だとの証言を採用しお偉いさんたちは許されたが、全部米国に連合艦隊の「Z作戦」は伝わり、その後の日本軍の戦いは壊滅的であった。数人のエリートを守る為に百万の兵が殺戮された
この様な史実を教科書で学ばなければ日本人は到底大人になれない、安部は平然と馬鹿な歴史を繰り返している。今度の「さくらの会」事件以来、報道の姿勢はかなり変わったように感じる。その剥きだした牙をどの様に折るか、安部たちは必死に陰で策を打ち続けている、、でも限界だね、変わるかも、流れが、ほんと、